誰にだって連続記録というものがある。
今日を含め連続2,169日。
一日も欠かさずこの日記は継続している。
禁煙だって今日で5,427日の継続をみた。
単なる習慣。
続けたから続いた。
それだけのことである。
お酒については、口にしなくなって今日で5日目となる。
これも難なく継続できるのであるが、これまで何度か頓挫した。
過去、お酒をやめたことがあった。
子が生まれたときや独立したときなど。
ちょっと本気にならねばならないという状況であったから飲んでいる場合ではなかった。
途絶えたのは、気の緩み。
そろそろいいだろう。
飲む機会があって、ふと口にした。
タバコで考えれば分かりやすい。
たまに吸う、といった在り方は考え難い。
吸うか、吸わないかの二つに一つ。
吸えばその時点でスモーカーに舞い戻る。
お酒についても、同じ話なのだった。
今日くらいはいいだろう、との考えによっていつしか、飲む側へと足場が移る。
だんだん頻度が増えて、そうなると毎日飲むという状態まであと一歩。
その一歩は必ず成就されるのであった。
今日くらいはいいだろう。
この考えの根本には「飲むときには飲む」という世界観が横たわっていた。
例えば、友人らと親睦を深めるとき、成人した子らと水入らずの時を過ごすとき、親父と膝を交えるとき、女房と祝い事をするとき。
そんなシーンを思い浮かべた際、当然のごとくお酒が中央付近に映り込んでいる。
欠かせぬアイテムとしてお酒が存在し、その世界観に照らせば、「今日はいいだろう」との結論がまるで吸い寄せられるように導き出されることになる。
だから、その世界観自体を変えねば元の木阿弥。
精神科医の姜昌勲くんは大阪星光の33期。
「まあまあ、一杯」といった誘いに彼は決して乗ることがない。
おそらくタイガースが日本一になっても、超絶優秀な息子さんの結婚式の場でも、彼がお酒を口にすることはないだろう。
先を進む友人がいて幸い。
自分のなか一角を占めていた世界との決別に多少なり寂寥を覚えるが、前を行く友人を思えば、気持ちが和らぐ。
思えば、彼には事あるごとに和らげてもらってばかりである。
今日で5日目。
たった5日であっても自身が居住する時間の質が変わったと実感する。
こちらの方が上質。
居心地はかなりいい。
いろいろな意味で節目の時期と言えるのだろう。
子らは巣立ち、事務所もより良い環境の場所に移転した。
様々なことが、実は一つのこととして符号する。
今後、飲み会の場。
姜くん同様、わたしもノンアルで楽しませてもらうことにする。