日曜日、空晴れ渡る静かな朝。
爽やかな緑風に誘われ窓際に立った。
目の前の公園で、母が子を特訓している。
母が次々とボールを投げ、子が打ち返す。
クッションの弱いボールだから飛距離は出ない。
真芯で捉えたときだけ母の足元までボールが届く。
ここで仕上げてからチームの練習に合流するのだろう。
厳しい訓練を経るのが当たり前。
母のアスリート体型がそう物語っていた。
いつか子は母に感謝することだろう。
うちも同様。
子らが小さかった頃のことを思い出した。
マラソン大会があるとなれば一緒に走り、試合前にはランパスし、家内は子らと一緒に戦った。
家内が目を覚まし、手分けして朝食の支度を整えた。
わたしがご飯を炊き卵を焼いて、家内が肉を焼いて野菜スープをこしらえた。
息子らも自炊する。
せっかく料理のエキスパートと暮らすのだから、わたしも料理を覚えよう。
最近そう思い立って、積極的にキッチンに立つようになった。
まさか自分が料理をするなんて。
人なんて分からないものである。
午前中にわたしはジム、家内はヨガを済ませて合流し、西宮阪急で食材を買ってあとは家で過ごした。
この日は母の日。
なにげない感じで息子らから家内にメッセージが届いた。
用事にかこつけて、行間には感謝の気持ちがこめられている。
かなりの国語力。
形だけのプレゼントを贈られるより、心が届いて余韻が残る。
昼食は冷麺。
わたしが作って、家内には一人前を進呈し、自らは二人前を平らげた。
そして食後は映画。
アマゾン・ビデオで「細雪(公開1983年)」を観た。
岸恵子が美しく四姉妹の誰もが美しいがそんななか吉永小百合の美しさが群を抜いていた。
飛び抜けた美貌に囲まれ更に際立つ美しさに息を呑む。
これはもう伝説の域というしかない。
その他、平安神宮の桜、芦屋川、箕面の滝の紅葉、嵐山を走る阪急電車、京都嵯峨の紅葉、各地の風光明媚に目が癒やされた。
家にいながら外出気分を満喫できる。
映画はやはり素晴らしい。
その美しさの奥底に、映画においても富裕層に対する皮肉がたっぷりと込められていた。
三女と四女の縁談話に絡んで下々を蔑む差別意識が随所に見え、かといって見下す側も没落の過程にあって、原作では、彼女らが暮らす芦屋の分家は芦屋の西の外れにあって実は芦屋ではないという設定であるから、皮肉のほども強烈と言えるだろう。
風光明媚であろうがなんであろうが、どう装ったところで人の本質は変わらない。
名作は何年経っても色褪せない。