酒類の提供が解禁されて、街を歩けば立呑み屋のなか、一息つくおじさんの姿がチラホラ目に入る。
ちょうど夕刻、場所は天神橋筋商店街。
昔日への郷愁を覚えつつ、わたしは歩きながら沈思した。
この日、ある事業主から食事に誘われた。
お供しますと答えたものの、お酒を控えている旨を伝えると、少し白けたような表情が覗き見えた。
ここで顔色を窺って禁を破れば、また元の日々に舞い戻ることになるだろう。
なんの苦もなくお酒を飲まずに過ごしているが、それは「お酒を飲まない」という状態を継続しているからであり、例えれば、「恋しくなければ苦しくもない」といった話になるだろう。
だから、お酒が入れば話が変わる。
出会ってしまえば恋に落ち、毎夜の逢瀬を避けがたい。
つまり、惚れっぽい人間には機会飲酒といった話は成り立ち難く、点と点はすぐにつながり線となり、いつしかその太さが増していく。
季節は巡り、様々な風物詩とともに飲みの機会が訪れる。
酒宴でお酒に手を付けず、愛想なしとなることは不本意極まりなく、お酒がどうのというよりもそれで翳る心の方こそわたしの課題と言えるだろう。
天神橋から天王寺に移動し、次の業務まで少し時間があった。
以前なら渇きをこらえにこらえ、業務を終えてから正宗屋に飛び込むという流れであったが、頭に浮かぶそんなゴールテープをかき消して、わたしは星乃珈琲に入った。
チーズケーキをついばんでコーヒーを口に含んで一息ついて、それでも十分渇きは癒えた。
かつての呑兵衛は甘党に成り代わった。
今後いくつも関門において、ビールはケーキに、赤白のワインはジャムやクリームの添えられたマフィンなどに置き換わっていくのだろう。
そして性格もますますスイートなものになっていく。