生きていればたまに嫌なことが降りかかる。
この日の朝、家内は張り切って出かけた。
遠路を押し駆けつけたがしかし駐車場に空きはなく、右往左往するうち時間に遅れてしまった。
2分の遅れでキャンセル扱いとされた。
それだけでなく、連絡を入れずに遅れたことを事務員に咎められ、追い打ちをかけるようにその非について何度も問い詰められた。
その言いようがキツく執拗で、どこからも助け舟は出ず周囲はその様子を遠巻きに眺めるばかりであったから孤立感が募った。
ついには涙が頬をつたい手も微かに震えはじめ、だから結局家内は何の診察も受けずそのままそこを後にした。
ある種の自我は粗暴で禍々しく、決してその職分を弁えない。
だから、助けてもらおうと駆けつけた患者をさえ言葉の風下に追いやって無為な殺生を繰り返す。
犬にでも噛まれた。
斬られた方はそうとでも思って諦めるしかないが、しかし、しばらく涙は止まらない。
こんなとき、身近に人がいれば救われる。
家内の場合、実家とは疎遠で日頃の交流はほとんどない。
友人はいるが遠くに住むか忙しい。
優しい息子二人は東京に住み、自慢の夫は仕事先にいて家を留守にしている。
幸い、隣家の奥さんが文字通りいつも隣にいる。
クルマを運転してくれて、一緒に買物に出た。
車内での僅かな会話で世論が形成され確固となっていった。
たいへんだったね、ひどい話だね、西宮ではあり得ない。
そんな風に話を聞いて相槌を打ってくれるだけで心が癒えた。
やはり近所づきあいは疎かにできない。
家内からの話を聞いてそう思った。
わたしの場合はそれが職場になるだろうか。
日々忙しくいろいろと大変ではあるが、不思議なことに職場にいれば安らぎのようなものを感じる。
身近すぎて日頃は気にも留めないが、傍に人がいるということは、精神衛生上、このうえなく大事なことなのだろう。
もちろん、家庭も同じ。
曲りなりわたしも家内も互い役立っていると言えるだろう。