子の中学受験を無事に終えたとき、33期の4人で飲み会を行った。
あれから6年。
晴れて大学受験も終わったが、時はコロナ禍。
飲み会など発想することさえためらわれた。
が、大阪に発出されていた緊急事態宣言は解除され、4人までなら飲んでもいいとお上が言う。
4人のうち3人はとうの昔にコロナワクチンを接種済みで、わたしも月内には接種を終える。
であれば、おとなしく集まる分には問題ないだろう。
サクラサク飲み会の第2弾。
そろそろ声をかけていいような気がする。
中学受験もたいへんだったが、大学受験もたいへんだった。
親の立場であっても受験体験は強烈。
4人集まれば、安堵の嘆息とともに積もる話が溢れ出すに違いない。
うちではしょっちゅう。
家内といると折々受験の話になって、その胸のうちの変遷が定番の懐メロのごとくヘビロテされる。
この日もそうだった。
神戸に向かう電車を待っていると家内から連絡があった。
「いま、どこ?」
尼崎駅だと返信すると、「いま塚本駅を出たばかり」とのメッセージが届いた。
やってきた電車に乗るとそこには家内。
おもて君の息子二人は超優秀。
ともに東大寺を辞退して大阪星光に進んだという話を聞いてきたようで、それでうちの家の受験の話になった。
兄弟2人。
もし万一、中学受験に失敗し不本意な学校に進んでいたらどうなっていたのだろう。
想像するだけで肝が冷えた。
引きずる敗北感は重い荷となり、その後の暮らしの場面場面に影を落とし、子らの出力に負の影響を与えたかもしれない。
そう考えれば、なんと罪作りな話だろう。
そして大学受験。
この緊迫度は中学受験を上回っていた。
こなす分量は中学受験の比ではなく、かつ競う相手は首都圏精鋭をはじめとする全国二学年の猛者たちであり、その椅子取りゲームは想像以上に熾烈な激戦だった。
これもまたもし失敗していればと思うとゾッとする。
再びあの戦いに挑まねばならない。
そう想像するだけで、心は憂いに沈み徒労感で全身が重く澱む。
子育ての過程でいちばんたいへんだったのは間違いなく受験であった。
失敗していたらと思うと怖気走る。
が、合格と知って心を優しく包んだふんわり感は生涯忘れ得ぬものとなった。
回想すれば、決まってこのふんわり感がよみがえる。
だから、受験話は何回繰り返しても飽きることがない。