新しいズボンと靴を選ぶ。
家内がそう言うので、夕刻、職場を抜け本町に向かった。
わたしの着衣は問屋に並ぶ。
アウトレットや百貨店だと落ち着かない。
滅多なことがない限り、わたしは身の丈を超え出ない。
出過ぎた真似は、人生のなか東京で暮らした一時期だけのことだろう。
若いその時期、着るものにお金を注ぎ込んで、しかしそれで内の空虚が埋まることはなかった。
空虚の風通しは増すばかりで同時進行で財布の中身も薄ら寒くなっていった。
言い古された言葉であるが、肝心なのは中身。
ささやかであれ内に自負するものが具われば満たされる。
後年そう悟って、自我が身の丈と和解した。
男子に余計な飾りは不要。
以降、これが自論となった。
飾るくらいなら武器のひとつでも磨いたほうが身のため&世のためと言えるだろう。
33期の集まりなどみれば、一目瞭然である。
外見など、うつし世の影を飾る単なる方便に過ぎず、そうと気付いた者らであるから装いになど頓着しない。
一様にダサく、てんでばらばらに不均一なそのダサさは清々しいほどであるが、中身が詰まっているからそれで気後れしたり怯む者など一人もいない。
雨の降り止まぬ蒸し暑い一日だった。
服などどうでもいい。
そう思いながらであるから、試着する時間が苦痛で仕方なかった。
わたしだけなら手にとったものを即座購入して話が終わる。
が、家内は生来の世話焼き。
あれもこれもと渡して寄越すからキリがなく、わたしにとっては地獄の責め苦も同然であった。
当分のあいだ問屋に足を運ばずとも済むよう、買うかどうか迷えば買って、丈合わせを終えた頃にはぐったり疲弊した。
もう懲り懲り。
だから帰路の運転を家内に任せ、わたしは助手席に身を沈めた。
心身の回復のため食が必要だった。
頭に蕎麦が浮かんだ。
芦屋の土山人。
そう家内に行き先を提案し、そして芦屋に入ってから土山人が月曜は定休なのだと知ることになった。
近隣の蕎麦をネットで探ると夙川に馳走侘助という蕎麦屋があって、なかなかいい感じに思えた。
途中、エトネでケーキを買って、家内が夙川へとクルマを走らせた。
店は夙川駅から西に歩いてすぐの場所にあった。
暖簾を見て気付いた。
馳走侘助は土山人の夙川店なのだった。
あきらめていたメニューにありつける。
わたしたちは喜んで、いつもの定番を頼んだ。
一口食べて意見が一致した。
芦屋より美味しい。
家からだと芦屋より夙川の方が近い。
息子らが帰省したら連れてこよう。
そう決まった。
食後、家内の運転でそこらをぶらついた。
夙川から苦楽園にかけてのハイソな街並みを見上げ、夏の夕刻、くつろぎの度を増す優雅な暮らしの空気だけを存分に味わって、それをみやげに、身の丈の平地へと戻った。