電話が鳴ると身構えた。
快方に向かうと信じつつも、病院から連絡がある度に心が乱れた。
一進か一退。
そのどちらかが告げられた。
一進ならほっと安堵し、一退なら気が塞いだ。
両極端を行きつ戻りつし、その振幅の分、願いの切実度だけが増していった。
その日の夜、少し良くなりつつあると聞かされた。
これで一気に快方に向かう。
そう確信しわたしはぐっすりと眠っていた。
真夜中に電話が鳴って、急な報せを受けた。
絶句するほかなく着の身着のままでクルマを走らせた。
とうてい受け入れられる話ではなかった。
良くなるはずだった。
だから何かの間違いにちがいない。
そう思い、覆るはずのない事実に奇跡を求めた。
病院に到着し駆けつけて、厳然とした事実に向き合うことになった。
母の顔をみて伝えたいと思うのは、ありがとうの一言で、眠ったように見える母にこれまでありがとうと何度も言うが、言葉は涙で詰まるばかりだった。
こんないい人はいない。
家族とそう話した。
うちの家内もそう言う。
こんないい人はいない。
ほんとうにいい人だった。
だからみなに好かれ、みなが母と会って話したがった。
人の悪口を言わず出過ぎず飾らず、いつも優しく明るく人に尽くして励ました。
みなが口を揃えて言うだろう。
こんないい人はいない。
そう言えば、母の母、祖母も同じような優しさにあふれた人だった。
行商を続け女手一つで母を育て、周囲の人を大事にし、だから同じく大事にされた。
その昔、下町の実家の近くに祖母の家があった。
幼い頃、わたしは弟を連れしばしばそこで寝起きした。
祖母は優しく、訪れると必ず100円くれて、家は手狭だったが居心地が良かった。
印象深いシーンが頭に浮かぶ。
ある夜のこと。
川の字になって寝転んで見るテレビの画面にヤン坊マー坊の天気予報が流れていた。
横に目をやると祖母もまだ起きていて安心感が込み上がった。
幸福な時間としていまも鮮明にその場面が記憶に残っている。
祖母の持つ良きものを母はそっくりそのまま受け継いだ。
一生懸命に生き、不平不満など言わず、すべてに感謝し、いまを幸せと言って生きてきた。
いろいろたいへんだったはずだが母はいつも幸せそうで、だから祖母もきっと向こうで喜んでいたに違いない。
もしかしたらわたしもその良きものの断片くらいは受け継いでいるのかもしれない。
この心も体も母から貰い受けたもの。
だから良きものの一端くらいは、この中に紛れていてもおかしくはない。
小ぶりではあってもその良きものを体現し、そして幸せに生きる。
母に感謝の気持ちを伝えるのにそれ以外の方法はないように思う。
わたしたちが幸せであれば、母も喜び祖母も喜ぶ。
それが願いであったはずだから間違いない。
同様に、子らが幸せであればわたしも幸せ。
順々に向こう側へと渡っていくが、しぶとく幸せは連鎖する。
面と向かって言えないことも、日記でなら記して残せる。
だからいつか子らに伝わり、その笑った顔をいつか遠くから眺めることになる。