夕刻になると気持ちがやすらぐ。
金曜は特にそう。
家に帰って風呂の支度をしていると、まもなく家内も帰宅した。
午前中に整体を受け午後にヨガ。
そして仕上げに梅田のカリスマによるヘッドスパを受けてきたというから、見るからに家内は元気ハツラツとしていた。
若いのになかなかよくできた子である。
梅田のカリスマの話からこの夜の二万語が始まった。
毎朝、出勤前に近くの山を駆け上がって墓参りをし、出勤後は真っ先に素手でトイレを掃除し、その日課を欠かさない。
そんな話を聞いて家内は感心したそうである。
わたしも同感。
若いのに見上げたものである。
墓参りも掃除も人の基本。
そして、何であれ基本ができてこそ次がある。
彼の施術を求める客は引きも切らず、二ヶ月先まで予約で埋まる。
墓参りや便所掃除は一例で、おそらくすべてにわたって基本ができているのだろう。
吹けば飛ぶよな自営業者である。
だからわたしも昔は折に触れ神社で手を合わせ、自ら率先して掃除した。
運気を呼ぶには基本から。
そんな信仰にも近い思いに駆動されていたと言えるだろう。
そしてそんな殊勝な心がけは知らず知らずのうち仕事のアウトプットに底流する。
自ずと質があがって、結果、周囲の共感を呼ぶことになる。
風呂が沸いたので先に湯につかった。
BARTHという入浴剤が素晴らしい。
湯が温めであっても盛んに発汗が促され肌に優しく心地いい。
小窓から入る夕刻の風がほどよい冷気となって、そこに緑の香も混じるから更にますます心地良い。
意識も明瞭。
ゆっくりと本のページを繰り、発汗した分だけペリエを補給する。
かつて仕事後の定番は飲酒であった。
風呂で本を読みペリエを飲む方がはるかにいい。
風呂を上がると夕飯が整っていた。
料理しながら息子らと電話で話していたようで、続いての二万語は彼らの話となった。
それぞれがいま試験の真っ最中である。
試験勉強以外にもあれこれ取り組んでいて交友関係も広がるばかりだから二人ともかなり忙しい。
母としてはその充実が頼もしく思えて仕方がない。
あのちびっ子が、彼の地にて日に日に成長している。
そう実感できるから嬉しくて、吹きこぼれるほどの笑顔が浮かぶ。
ああ、二人を東京にやってほんとうに良かった。
夕飯を味わいつつそんな家内の話を聞いて、ふと思った。
わたしの息子は家内の息子。
いまさら当たり前のことであるが、その共通が奇跡のように思えた。
わたしの子は家内の子。
つまり運命共同体。
喜びの源泉が同じであることほど人を強く結びつけるものはない。
梅雨明け間近な夏の夕刻、ひときわ強く親愛の情が深まった。