ここまで現地に溶け込み友人を多く作った生徒はいない。
いかにも感心したといった様子でエージェントが言った。
極寒の地ゲルフに長男が単独で乗り込んだのは中3の1月のことだった。
どのようになるのか。
本人は不安であっただろうし親は当然心配した。
が、そこは彼にとって心解き放たれる別天地となり、日本での日常が遠く霞んで萎んでいった。
当地の学校やステイ先からの情報をエージェントが折々伝えてくれた。
水を得た魚さながら、序盤から彼は彼の地に適合した。
が、月日は経過する。
2月が過ぎ3月になった。
4月に帰国する息子との別れを惜しみ、仲良くなったクラスメイトの家族が旅行を企画してくれた。
旅行に連れ出していいかとの申し出が寄せられ、是非連れて行ってくれとわたしは二つ返事で答えた。
ナイアガラの滝で過ごした二泊三日は長男にとって生涯忘れ得ぬ旅行となった。
結局、中学の卒業式も高校の入学式も終わった頃に彼は帰国した。
空港で出迎えたとき、彼はわたしにすっと右手を差し出した。
固い握手を交わし、わたしは息子の成長をことほいだ。
たった3か月の滞在であったが、この間に彼は急速に成長し、そして自身を見出した。
先日、長男から電話があった。
大学の試験日程の真っ最中に彼はまた別の外資金融を受けていた。
そのインターンに合格したとのことだった。
書類選考と知能テストといった趣きの筆記試験、そして面接を経て、英語でのグループディスカッションが課された。
テーマはシンガポールの兵役について。
日頃考えたこともないテーマのはずなのにライバルたちは驚くほど流暢に話し、面食らった。
が、彼はラガーマン。
食らいついてなんとか議論に混ざった。
結果、どういうわけか合格することができた。
電話で話しわたしは思った。
平然と場数を踏む場に乗り出していく息子の姿が頼もしい。
それでわたしは中3の頃のことを思い出したのだった。
複数のインターンシップへの参加が決まり、夏以降忙しくなる。
機会を捉え来春まで幾つかの業界に関わってみたいと彼は言うから長丁場になる。
机上の空論ではなくモールのなかに入り込み、そこに溶け込んで自身の適職を見出していくのだろう。
わたしが彼に助言する期間は蝉が鳴くように短く終わり、今後はわたしの方が彼から教わる。
どんな話が聞けるのか。
まるで息子が中3の頃と同様。
老いた夫婦は近況の報を待ちわびることになる。