朝8時半には客先を訪問する必要があった。
このところはゆっくり目に起きる家内であったが7時には朝食の支度をしてくれた。
ベーグルに目玉焼きを挟んで食べデザートは台湾パインの入ったヨーグルトとすいか。
腹ごしらえを終え7時半に家を出た。
家の前で気配を感じふと振り返って見上げると3階の窓から家内がこちらを見て手を振っていた。
これでいいかと靴、ズボン、シャツを示すと、家内からオッケーとの合図が返ってきた。
身だしなみも万全、わたしは颯爽と朝の駅へと歩を進めた。
久々に通勤電車に揺られ、天六で降りた。
朝の空気の柔らかさは消え失せて、拳で殴りつけるような日差しが一帯に降り注いでいた。
目の前にバス停があったので、長柄橋までバスを使うことにした。
約2時間半。
客先の従業員を相手に喋った。
多々質問も受けたので、終わる頃には草臥れた。
喋るのは得意な方だが、それは短時間に限っての話であって長くなるともたない。
あらゆる場面で長距離走を避けてきた結果、わたしはもはや短距離走以外には適応できないのだった。
灼熱の度は増していたが、仕事を終えた解放感が心地よく天六まで歩いて、その足で実家に向かった。
「もういない、ということが解せない」
そんな思いが日に日に増すと父は言った。
50年以上にわたってずっと一緒に過ごしてきたのであるから、事実に心がついていかないのも当然のことだろう。
わたしだって同じ。
いる、としか思えず、いないという事実がいまだにうまく呑み込めない。
だからなんとか日常との折り合いがついているのかもしれない。
小一時間ほど座って実家を後にし鶴橋で途中下車して昼を済ませ、続いて天満に向かった。
役所に寄るつもりであったが、降り注ぐ日差しが激烈でわたしは予定の遂行を断念した。
役所業務は若手に任せればいいのであり、何もわたしが無理することはない。
駅へと引き返し、そのままわたしは直帰した。
ぬるめの風呂にゆっくりつかって熱射に炙られたカラダを癒やした。
夕飯は名古屋コーチン鍋。
さすが家内。
暑いときこそアツアツの鍋が格好。
おまけに味付けのベースがディンタイフォンのラー油であったから、夏バテ対策として最強のメニューと言えた。
空調の効いたリビングで鍋奉行の指図に従い、ほくほくの鶏肉を食べ野菜をたっぷり食べ、最後に雑炊を平らげた。
これで疲労はすっかり回復した。
食後、家内が笑って言った。
こんな時間に家で夕飯を食べるなど普通の勤め人だとあり得ない。
わたしは説明を試みた。
世には長時間を均しく走る才に欠けた者がいる。
ここという短時間しか走破できないから、足し合わせた距離は劣後してだから稼ぎも他に劣る。
が、他人になるなどおよそ期待できることではなく、だから、曲りなりこれで走り繋いでいくしかない。
そう言って、わたしは自室に移動して一日の残務をこなした。
このところ、脱アルコール派の人をソーバー・キュリオスと呼ぶらしい。
飲まないことで得られる意識の明瞭を好ましく思う人は少なくないのだろう。
お酒をやめて3カ月になろうとしている。
一日の枠が広がったようなものであり、いいこと尽くめ。
ここというときブラインドサイドを一気に走り抜けるには意識の透徹が欠かせない。
短距離走者のくせしてソーバー・キュリオスでないなど、あってはならないことだろう。