うちの兄弟姉妹は仲がいい。
小さい頃はよく下町の路地で一緒に遊んだ。
別々に暮らすようになって久しいが、母を見送ったあと以前にも増して頻繁に連絡を取り合うようになった。
仕事の合間、昨日は実家で弟とも妹とも顔を合わせた。
母の子どもたちは下町にて肩を寄せ合うチビっ子だったが、気づけば当時の母の年齢を軽く超えいずれも中年という域に差し掛かった。
温厚で優しかった母の血を分けた者らであるから当然関係は円満で、孫らの代まで仲がいい。
母のおかげ、と言えるだろう。
だからこの先もずっとなんの問題もないと思うが、親は心配性。
うちの息子ら二人についても、末永く仲がいいよう切に願うような気持ちになる。
長男と二男の関係が将来にわたって密で、事あるごとに助け合う。
当然のこと、長男の子は叔父さんとして二男を慕い、二男の子も叔父さんとして長男を慕う。
是非そうあって欲しく、このたすき掛け構造があれば百人力というものだろう。
親は安心して向こうへと旅立つことができ、慌てず騒がずお手並み拝見と高みの見物を決め込める。
兄弟がいる。
それが心強いことであるのは、当事者に限らないということである。
世には兄弟であっても知らぬ存ぜぬと一線引いて、疎遠になったきりという家庭も少なくない。
人それぞれの自由ではあるが、我が子らが家族ぐるみでそんな冷めた関係になったとすれば子育てが失敗したも同然、こんな寂しいことはない。
どこを見ても赤の他人。
そんな茫漠とした景色の向こうに、出自を同じくする片割れがいる。
これを奇跡と言わずして何と言おう。
歳を重ねれば重ねるほど、そんな定点とも言える存在が貴重に思えるはずである。