駅前の商店街で日用品を買い足し、消耗品といった部類の衣服をユニクロで買い替え、ベッドを動かし床全面を隈なく拭き取り、風呂・トイレ・キッチンといった水まわりをピカピカに磨き上げ、不要物をまとめてゴミに出し、家内は洗濯機を何度も回し食事を作り置きした。
二日がかりで作業して、たっぷりとその空間に身をひたし、すっかり長男が住む部屋に馴染んで街に親しんだ。
二日目の昼にたまたま戻った長男と顔を合わすタイミングがあり、地元で人気のバインミーバーガーを彼が買ってきたので三人で食べた。
なるほどこれがシモキタの味。
彼の暮らしの一部を共有できた。
これで夫婦揃って気が済んだ。
夕刻、戸締りをし息子の下宿を後にした。
暴風が吹き荒れる丸の内のビル街を歩き、ヴィロンで夕飯を済ませてから車中の人となった。
後はぼんやり汽車に運ばれるだけ。
関西のダイヤが大幅に乱れていることを新大阪に着いてから知った。
二時間遅れの快速がちょうど出発するところだったので飛び乗った。
乗り換えのため尼崎で降りるが普通電車は引き続き動いていなかった。
ホームもコンコースも人で溢れ、たとえ電車がやって来たとしても一斉に乗り込む一団に混ざるのは躊躇われた。
タクシー乗り場に急いだ。
が、タクシーはきれいに捌けてかつほとんど姿を現さない。
業を煮やした幾人かが列を離れ、ロータリーで客を降ろすタクシーに直接乗り込もうと試みた。
が、次の予約が優先なのか、乗り場以外では乗せないとの不文律があるのか。
列を離れた者らはすげなく乗車を断られ、いっそう帰路から遠ざかることになった。
列で待つのが最善。
15分ほどで順番が回ってきた。
やってきたタクシーの運転手は老人だった。
自然、孫の話になった。
可愛いくてならない。
全てのエピソードがそう帰着した。
続いて運転手の二人の息子の話になった。
弾む語調がしみじみとしたものに様変わりした。
二人とも野球人だったとのこと。
親ではなく野球が息子たちを育てた。
運転手はそう言った。
兄弟で切磋琢磨し努力を惜しまなかったが、いいときばかりという訳にはいかなかった。
長男は高校時代にピークを迎え、次男は大学生になってから活躍した。
その時期のズレは家庭においては影となった。
振り返れば大変なことばかり。
孫らはタイガースを応援し無邪気に野球を楽しんでいる。
あんな心労はもうたくさん。
孫たちにはできれば野球の道には進まないで欲しい。
そう言って運転手は笑った。
かわいい孫の姿が頭をよぎっただけで笑顔がこぼれる。
老人にとって孫は一種の滋養強壮剤といった存在なのかもしれなかった。
まもなく家の灯りが見えてきた。
息子二人を育て上げたのであるから運転手はわたしたちにとって人生の大先輩と言えた。
その心の変遷は尼崎から西宮という短い道中ではとても語り尽くせない。
山あり谷あり。
はるかな道のりを経て結局は、孫がかわいいという地点にたどり着いた。
息子さんらはそれで充分、親に報いたと言えるのではないだろうか。
いい話をありがとうございました。
精算の際、心からの感謝を込めて大先輩にお礼を述べた。