昼になって雨脚が弱まった。
うなぎを買うため、ひとり野田阪神に向かった。
お盆だから案の定、川繁には列ができていた。
普段、行列の類には見向きもしないがその一角に甘んじるのは息子のため。
息子が喜ぶと思えば、ただ突っ立って過ごす時間も親は厭わない。
大ぶりのものを三尾包んでもらい、続いてはビッグビーンズに足を向けた。
ここでは良質の果物が手に入る。
糖度の高いスイカを買って、いかにも上等といったぶどうと桃を買った。
そして隣接する鳥清で注文してあった鶏ポン酢を受け取った。
これも息子の好物。
店一番の人気の品なので早めの時間に行くか予約しないと手に入らない。
肩に買い物袋を提げ、ずしりと来るが、それが親の喜び。
商店街を抜け、ふと思い立って地の神社に寄ることにした。
事務所がここらにあったときは足繁く通った。
久方ぶりそこを訪れたのだった。
ここで快方を願って頭を下げ手を合わせた日の夜、母が亡くなった。
その日のことを振り返りながら、安息の地にある母のことを思った。
雨が静かに降り続いていた。
わたしの他、妊婦の方がひとりお参りに訪れていた。
その女性が社務所で受け取った御札は安産を祈るためのものだろう。
わたしは母から生まれた。
そんな当たり前のことについて思いが向くが、しかし、詳細は分からない。
残念ながら安産だったのか難産だったのかさえ母に聞いたことがなかった。
聞かされたのは明け方に生まれたということと妊娠中はやたら酸っぱいものが欲しくなって冷麺をよく食べたという話くらいであった。
わたしが一歳くらいだろうか。
母に抱っこされた写真が一枚残っている。
男なのに髪飾りがつけられていて、母がそれをみて笑っている。
その一枚から母は子育てを楽しんでわたしをかわいがってくれたのだと分かる。
降り止まぬ雨に促されるようにしてついつい涙が溢れてしまう。
最後に電話で話したのは4月で、テールを送ったとの連絡だった。
周囲にも漏れ聞こえるくらい、母の声は元気で大きかった。
売り出しがある度、母は上質のテールを手に入れてうちに送ってくれた。
子においしいものを食べさせたい。
歳をとっても、そんな気持ちは変わらないのだろう。
母は常々言っていた。
健康で元気であればそれで十分。
わたしも同感。
健康で元気でもっと長生きしてほしかった。
この日の夜、冷凍保存してあった最後のテールを家内がスープにしてくれた。
皆で一緒に味わって食べた。
食べ物にこれほどまでに感謝の念を抱いたのははじめてのことだった。