用が済めば疎くなる。
二男の大学受験から半年、長男の大学受験からは二年半が経過した。
受験について考えることがなくなって、これは幸せなことと言えるだろう。
二男がこのたび帰省して先日友人らと再会した。
メンバーは大学生と浪人生が半々といった構成であった。
夏を制する者が受験を制する。
そうとは分かっていても、人間は機械ではない。
青年期には若気の煩悶がつきまとう。
やはりどうしても、ままならない。
西大和の先生は浪人後も定期的に予備校まで会いに来てくれる。
そんなことがあればモチベーションが良きチューニングを受けることもあるかもしれない。
が、星光生は友人だけが頼り。
そして、時に友人も若気の至りであるのだった。
思うように勉強がはかどらない。
このようなとき、若気の至りが集えばここは気晴らしにパチンコでもという発想が市民権を得てしまう。
お誘い合わせのうえデスクではなく台に向かうといったことが生じ得る。
そしてたとえば、千円投入し一万円勝つ。
ド派手な演出がセットになるから、脳の奥深くに成功体験が刷り込まれ、事あるごとにその快感が疼き出す。
かくして、青春の一ページにとどまらず、パチンコが数ページを占めるということになっていく。
それでも、大阪星光。
元が賢いから、まあ、退却戦の様相を呈しても最後には土俵際にて踏みとどまるのであろう。
そんな話を伝え聞き、わたしは想像せざるを得なかった。
もしうちの息子が浪人したら、どうなったのであろう。
間違いなく気候風土の異なる国に暮らすようなもの。
陰々滅々。
頭痛の種が耐えず親は塞ぎ込むような日々であっただろう。
特に家内などは消耗の度が激しく口数が減って二万語が二語になったかもしれず、逆に神経が張り詰めて、口数がリミット超の二十万語に達したかもしれない。
そのダークサイドを思えば、現役志向で構えたことはやはり正解だったと言えるだろう。
そもそも子らは二人して生まれながらにがさつでやんちゃな荒馬のようなものだった。
だから、身内にも疎まれた。
そうそう、身内が味方であるとは限らない。
最も心無い冷眼視を浴びせてくるのは、たいていの場合身内の側の人間なのである。
荒馬ではあったが、親であるから肯定的に考え夫婦で互いに言い聞かせた。
この活性は男子に不可欠。
行儀よく従順であれば確かに育てやすいだろう。
が、そんな置物仕様であっては、恫喝一発、嬉々と尻に敷かれるような小物となりかねずその方が先々心もとない。
一歩間違えれば悪党になりかねない。
そんな懸念を併せ持つ幼少期であったが、幸いなこと取り越し苦労となった。
18歳と言えば依然として未熟な成長過程の真っ只中と言える。
そんな時期に浪人といったじれったい時間への対峙を余儀なくされれば、何らかの不具合が生じかねない。
うちの場合、元の懸念が再燃といったことになってもおかしくはなかっただろう。
やはりうちの力量を思えばリスク過多。
試練は大学生になってからでも遅くない。
親の立場という観点だけでなく、子らにとっても現役で良かったという結論になる。