仕事を通じ喜んでもらえると嬉しく褒められると嬉しく新たに声がかかると更に嬉しい。
責任重大だから楽ではないが苦でもない。
節目節目に訪れる喜びを思えば、差し引きプラス。
人生のなかで仕事が重きを占めて、それが喜びの源泉という今の状況はとても幸せだと言えるだろう。
感謝の思いで胸が満ち、皆の顔がずらりと浮かんで、最後に母と目が合う。
母も応援してくれている。
このところ強くそう感じるが、生前からずっとそうであったに違いない。
神仏に手を合わせる度、母はわたしの無事と幸福を願ってくれていたはずで、なぜわたしはそれに無頓着だったのだろう。
感謝の気持ちを直々に何度もわたしは母に伝えるべきだった。
その分、もっと頑張ろう。
そう思う。
50歳を過ぎたが、ようやく始まったようなもの。
研鑽を重ね、大いに喜ばれ新たに喜ばれるよう業務に励まねばならない。
そう思うと闘志が湧いて、それがまた喜びと等号で結びつくからやはり仕事は素晴らしい。
仕事に臨んで甲冑を身につけるとき、未熟者であった当時は息苦しいような気持ちに見舞われることもあった。
が、いまそれなりに研ぎ澄まされて甲冑と自身のサイズが合致した。
つまり甲冑が普段着のようなものとなって、呼吸も楽に仕事に入っていける。
ちょうどいい感じ。
こういうことを自己実現というのかもしれない。
放って置かれて特にしたいと思うことはない。
仕事だけが残った。
天職との出合いは偶然の連なりの先にあった。
ほんとうに不思議なことである。