三日目の朝は和食のビュッフェだった。
ここでもまた育ちが露わとなった。
主食としてご飯とうどんと蕎麦が並ぶ。
もちろんわたしは全部をトレイに載せた。
着席し彼我の差を目の当たりにした。
息子も家内もご飯だけ。
主食が3つ並ぼうが、彼らにとってそれは選択肢に過ぎないのだった。
片っ端から手を出すなど不埒な振る舞いなのかもしれない。
そんな思いがチラとよぎった。
彼らがしずしずと上品に食べる横で、わたしはご飯をかき込み麺を交互にすすった。
やはり不埒であるに違いなかった。
この日は家内も海に入った。
ビッグマーブルで海上を八の字に引っ張られて声を弾ませ、ウエイクボードでは息子の姿に視線を注ぎ身を乗り出しキャッキャはしゃいだ。
皆で遊んで気が済んで、温泉につかってからホテルを後にした。
「JAえがお」で地の食材をたっぷり買い込み、締めの場所は鳴門ナンバーワンの名店「味処あらし」で決まりだった。
昼をとっくに過ぎていたのに、待ち客で駐車場はいっぱいだった。
さすが人気店。
一時間ほどクルマのなかで順を待つことになった。
やっとのこと座敷に案内されて、家内がその日のおすすめを注文していった。
すぐにテーブルがいっぱいになった。
ちょっとした龍宮城が出現したようなものであった。
やはり魚介は鳴門。
日頃、美味しいものを食べているが、大阪で食す魚とは一線を画しているとしか言えなかった。
美味は伝説となってわたしたちの間で末永く語り継がれる。
そういう意味で旅のアクセントとして食の占める位置は大きい。
鳴門を発って淡路島を縦断し北淡に差し掛かったとき空に秋の気配が見え、夏が終わったとの実感が込み上がった。
旅の道中、「Stereo Hearts」や「Better Now」をヘビロテしていたが、最後に流す曲は「さよなら夏の日」以外に考えられなかった。
高速を降り阪神甲子園球場の横を通りかかった。
トラキチの特徴は向光性。
微弱な光でも、ほんの少し兆せば大勢が集まる。
いま甲子園にはかなり確かな光が差している。
長らくお預けとなっていたご馳走を前にトラキチたちの眼は爛々と輝き、今にも襲いかからんばかりに獲物を探してあたりを徘徊していた。
異様な空気が漂う球場周辺を行き過ぎながら、ああ、帰阪したのだとゾクゾクするものを感じた。