深夜に至ろうとする時刻。
前触れもなく二男が帰ってきた。
知人宅に泊まるはずであったが、彼はひとり逃げ出してきたのだった。
さっさと荷物をまとめて知人宅を飛び出し、駅に向け真っ暗な住宅街を一目散に駆け抜けた少年は当時小学3年生だった。
無事生還を果たした息子の話にわたしたちは聞き耳を立てた。
途中まではくつろいで過ごしていた。
が、そこの父親が帰宅して事態は一変した。
異物でも見咎めるような目で二男を上から見下ろし、まるであてつけのように家の子どもたちを怒鳴り始めた。
歓迎されるどころか威圧されている。
危機を察知した二男は、「逃げる」との状況判断を寸時にくだした。
止める者などいなかった。
これで父親の機嫌が直る。
そう思えば厄介払いできたようなもの。
家族一同、さぞやせいせいしたことであろう。
その父親についてはわたしも面識があった。
強者におもねり、弱者を踏みつける。
まるで男芸者。
そんな人物であった。
人となりの薄っぺらさは一目瞭然であったが、やはり薄い分、幼子にもその内実は簡単に見透かされた。
一度その家族に混ざってうちの子らがユニバを訪れたことがあった。
その人物と子らがたまたま隣り合う場面があった。
好奇心旺盛な子ザルは機会を逃さない。
いっちょう、この男とじっくり話してみよう。
子どもながらそう思って話しかけてみた。
が、空返事すらない完全無視を決め込まれた。
それがあって「やはり思ったとおり、あいつはしょうもない」と彼らは断じ、以後、相手にしていなかったが、援軍なく相手のテリトリーに入ったことは幼子にしても思慮を欠いていたと言わざるを得ないだろう。
歓迎される訳がないのである。
そんな話をふと思い出したのは雨降る高速の路上でのことであった。
激しく雨が打ち付け、ステレオからエミネムのスタンが流れはじめた。
攻撃性を喚起する箇所が刺激されたからだろう。
突如そんな昔話が記憶の底から浮上してきたのだった。
うちの息子を邪険にするなど、わたしと家内にそうしたも同然。
いい度胸ではないか。
あらためてそう思った。
夫婦して禍々しくも不気味に笑い、同じ場にいれば子らもやはり同様に笑ったに違いなかった。
たまたま関わり合いになったが、うちの日常のシーンのなか普通であれば相まみえることのないようなちっぽけな心根の手合いである。
相手にするのもバカバカしい。
そうは思うが、癪に障る。
日々真面目に生きていても視界全てがクリアという訳にはいかないようである。
日記のいいところは忘れたくないことをいつまでも手近に留めおけること。
だから、逆に言えば、書けばきれいに忘れることもできる。
今日の日記は後者を目的とするものになる。