敬老の日、実家に寄ってひととき父と過ごした。
二人でぽつりぽつりと会話する。
少しでも前向きな話題にしよう、そうわたしは心がける。
いい季節になる。
孫が元気に過ごしている。
時間の射程を長めにしそこにも良いことを散りばめる。
そのうちコロナ禍も収まる。
そうこうしているうち数年後には孫が結婚し、そうなるとひ孫を抱く日も遠くない。
が、どんな未来が描かれようと母が不在であれば意味がない。
喜びを分かち合う相棒がいてこそ胸は膨らむのであって、そうでなければ気分は消沈したままうんともすんとも言わないのだった。
ただ静かにそばにいる。
これより他に振る舞いようはなく、会話はいつも同様、話すより黙する時間の方が増していった。
帰途、思い立って桃谷の点心軒に寄った。
ここの餃子が美味しくて、母が買って来た際には弟と二人で大喜びした。
小学生の頃、わたしたちはよく食べた。
白飯がすすんでどんぶり3杯はお代わりし餃子10人前をぺろりと平らげた。
そんな遠い昔のことを懐かしみつつ餃子を味わい、大人であるから少しは気取って白飯ではなくカニチャーハンと一緒に食べた。
食べ終えて鶴橋に足を伸ばした。
あれこれ食材を買おうと思うが疲労感があったので、駅近くでマッサージを受けることにした。
実直そうな青年が施術者でこれが当たりだった。
肩のツボに指が入った瞬間、彼が練達の者であると分かった。
今度うちの女房も連れてくる。
そうわたしが言ったから夫婦の話になって、彼は初対面のわたしに向かって打ち明けた。
彼が言うには、このほど8年目で結婚生活に終止符を打ったとのことであった。
いつから嫌だったのか。
女房に聞かれ、彼は答えた。
二ヶ月目で嫌になった。
そんなことを馬鹿正直に答えたのか。
わたしは驚き、そうなんです親父にもこっぴどく怒られました、と彼は言った。
何を思おうが、世には言っていいことといけないことがある。
方が付いた後でそれを伝えるのは酷だろう。
別れ際、相手の髪に吐き捨てたガムをなすりつけるようなものである。
相手のなか少しは大切にしたい思い出もあったかもしれず、それら8年のすべてが台無しになったのではないだろうか。
二ヶ月で嫌になった。
学生のバイトじゃあるまいし。
いろいろ事情があったのであろうし相手に非もなくはないのだろうが、親父さんが情けなく思うのも無理はない。
そう思いつつ、客が施術者を説教するのも変なので以降は黙った。
カラダの方はすっかり楽になった。
マッサージ屋を後にして、盛夏と変わらぬ日差しのもと家内が喜びそうな食材をたっぷりと買い込み、家へと急いだ。
父は母と52年連れ添い、わたしの方は連れ添って22年の歳月が過ぎた。
年数が更に重なって、最後の最後、人生のすべてとも言える存在になるのだろう。
もし不在になれば、食材を買っても意味はなく家へと急ぐ理由もなくなる。
その喜ぶ顔がなければすべてが無になる。
電車に揺られ、そう実感できた。
視線を先に向けたまま、わたしが先に。
そう願うところであるがこればかりは分からない。
最後に寂寥だけが残されて、視線は後ろばかりを向く。
そんなこともあり得るのだと、覚悟しておかなければならないだろう。
だからせめて振り返ったときそこに確かな世界が残るよう、夫は妻を大事にせねばならない。
当たり前のことのようにそう思えた。