ある程度のところまでくれば楽になる。
が、なんであれ最初はしんどい。
駆け出しの時代、出先でよく顔を合わせる若手がいた。
日々の労苦が分かるから、会うたび互いをねぎらい励まし合った。
数年前、独立したとの挨拶状が届いたが、いつしか出先に足を運ぶことがなくなって、以来、会うこともなくなった。
久々、風の噂で彼の近況を耳にした。
独立が功を奏し、仕事は若手に任せ本人は海で遊んでばかりいるという。
経てきた激務の道を知っているから、彼の苦労が報われたのだと知って素直に嬉しい。
が、そのせいか少しずつ芳しくない噂も立ち始めているとのことだった。
仕事を頼んだ相手が現場におらず海に入り浸っている。
そうと知れば心もとない。
見切りをつけようとする顧客が相当数現れ出ても不思議はない。
いまは疎遠であるからそれら顧客をこちらで引き受けても問題はないだろう。
そう思いつつ、自身についてかえりみた。
まだまだ弱小の身。
持ち場を離れるなどあり得ない。
もし安楽の中で過ごすことが常態になれば、二度と「ここ」には戻れない。
そうと分かるから今日も明日も「ここ」にいる。
彼だって、日々を楽しみつつ何が兆しつつあるのか、当然分かっているだろう。
このままではいけない。
そう感知して、しかし、あの労苦に戻るのは堪え難い。
だから事態は少しずつ悪化していくのかもしれない。
やはり安楽は脇にのけて少し距離を置くのが正しいのだろう。
小出しで嗜むくらいならまだしも全身丸ごと身を浸せば、安楽をぜんぶ先食いしてしまうだけでなく、耐える力も消え失せる。
いわば自身最大の後ろ盾を失う訳であるから、安楽が引き金となって安楽とは金輪際無縁ということになりかねない。
このように安楽は御しがたく、ちょいと憩うつもりで弄ばれてしまう。
海に行くことがあっても、わたしの場合は浅瀬でちゃぷちゃぷ遊ぶ程度に留めておこうと思う。