KORANIKATARU

子らに語る時々日記

奥に潜む感情に耳を澄ませる

ほんとうにバカで意地の悪い奴だ。

そう思って以来、何の付き合いもない。


だから実害はない。

が、目に見えない悪影響をいまだに感じる。


たとえばものの考え方に害が及ぶ。


ついつい悪意が生まれ、その周辺をも一括りにして否定的な目を向けてしまう。

ありのままを見ようとするのではない。

鋭利な刃物でそぎ取るように値踏みして、終始一貫、辛辣に見る。


全身全霊の叡智を動員し積極的に引き算するのであるから、最後に残るのは焼け野原ということになる。


だから、そうした思考の過剰が目に余り、「ちょっと待て」と心は言う。


貶めたり蔑んだりすることが目的になっている。

怒りという種火を延焼させているようなものであり、それは思考ではなく暴力ではないか。


なるほど偏った認識が暴走している。

このように主観はいともたやすく歪んで虚像を結ぶ。


根にあるのは傷ついた感情で、思考はその感情の成就のための道具に成り果てている。


逆の場合も同様だろう。


何か好意か執着の類が発端になって、崇め奉るといった足し算の過剰が生まれる。

これもまたこじつけのようなものであるが、実像と乖離した幻想が出来上がる。


個人が内に抱える程度で済めば大禍ないかもしれないが、引き算による妄執も足し算による幻想も広く共有されて客観との認識に至れば危険を孕む。


そもそも、足されたり引かれたりという時点で屁理屈がまぶされている訳であり、だからそれらしい話としても成り立つが、幾重にも張り巡らされた面倒な言説の奥に実はシンプルな何かが隠されている。


たいてい背後にあるのは単純素朴な感情。


根底において要するにどんな感情を有しているのか。

問うべきはそれであろう。


次々と現れる強弁や屁理屈に惑わされず、その奥に潜む感情に耳を澄ませる。

これこそが現実的で合理的な思考に道筋を与える第一歩になるだろう。

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2021年10月15日朝 焼肉と牡蠣