KORANIKATARU

子らに語る時々日記

家だからこその裏メニュー

正雀駅まで歩いて阪急電車に乗った。

淡路と十三で乗り換え、ほどなくして西宮北口に着いた。

 

アクタの住民サービスフロアへと向かいそこで住民票と印鑑証明書を取得した。

用意してあった二男宛のレターパックに同封しポストに入れ、これでこの日の用事は完了した。

 

時刻は午後一時半。

すでに空腹で、いつもならすでにどこかで昼を済ませている時間だった。

 

が、あとは家に帰るだけであるから我慢した。

米一粒からして家の方がうまい。

選択の対抗馬になるような店などあるはずもなかった。

 

空腹は限界に近づいていた。

歩いて帰るのがまどろっこしくて、アクタ下の乗り場からタクシーを使って帰宅した。

 

家に着くと、近所の主婦らが隣家の玄関先に集まっていた。

夫の赴任に帯同し上海で暮らす奥さんが一時帰国し、その奥さんを囲んで長屋の四方山談義が繰り広げられているのだった。

 

挨拶がてらその輪にちょいと加わった。

わたしたちがまっちゃんを訪ねた4年前など大昔、上海の発展の度は急速に増すばかりということが分かって、では、とわたしはその場を辞した。

 

まもなく家内もリビングに戻った。

早速、肉を焼いてくれ、野菜もふんだんに切り刻んでくれた。

 

外食先で店主がわたしの健康を気遣うことはない。

そういう意味でわたしにとって家内はスペシャルな存在なのだと言えた。

 

先日東京で一緒にラーメンを食べたときのこと。

わたしはいつもの習性で大盛りの食券を買った。

列に並んでいる間、家内が店員と雑談していると思ったら、知らぬ内、大から並へとサイズ変更が為されていた。

 

これを嫌がらせと取るとしたら、ひねくれ過ぎというものだろう。

些細なエピソードではあるがこの気遣いもまたわたしの記憶の中にずっと留まるのだと思う。

 

長男が二試合分の動画を送ってくれていた。

それを眺めての食事となったから、いつものように家内が思い出にふけった。

 

子らを連れ東京に遊びに行ったとき、家内はスーツケースを引いて移動していた。

前に段差が現れた。

長男が駆け寄ってきて、小さなカラダの全身を使ってスーツケースを持ち上げようとしてくれた。

 

これもまた長男が小さかった頃のこと。

風邪をひいて家内は一階の和室で寝込んでいた。

心配して長男がしょっちゅう様子を見にきてくれた。

水が飲みたいと言うと、ペットボトルを口元に持ってきてくれたのはいいが、角度が急過ぎて、そこら中が水浸しになった。

 

どれもはじめて耳にするエピソードだった。

外食だとそんな話に触れることはない。

 

動画を見つつ家内の思い出に耳を傾け、家族がいることの喜びをしみじみとわたしは味わった。

こんな一品は他のどの店に行っても得られない。

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2021年10月中旬 昼の光景