朝一番、高々と打球があがった。
3つ連続であったから、この日はそれらの捕球に追われることになった。
進捗についての問い合わせがあり、対応が保留のままとなっていた件の再確認の連絡があった。
そして、業務のかみ合わせについて疑義が呈せられた。
Aという業務は益でありBという業務も益であるが、重なると益が相殺されるのではないか。
そんな話であった。
どう打球を穏便に処理するか。
それが最大の課題と言えた。
対応の仕方について事務所に連絡を入れ検討を促し、わたしは足を使ってその対応に回ることにした。
こんなことはめったになく、重なるなどはじめてのことだった。
最悪のことを想定し、叱責に返す言葉を考えるから、ストレス度はかなりのレベルに達していた。
そう言えばこのところ家の近くの神社を訪れていない。
駅へと向かう前、地元神社を訪れ手を合わせ頭を下げた。
まだ始業前の時間帯。
まずはメールにて経過報告が後手になったこと、説明不足であったことについて謝罪し、後ほど訪問する旨を伝えてから、電車に乗った。
事務所から対応案と代替案が次々と送られてくる。
それらを組み立て、電車内で沈思し最も適切な策を練った。
ここで楽観的な見通しの入り込む余地はない。
窓の向こうには天高く晴れた秋の空が見え、空気は透明感に溢れていた。
そんな中、気鬱に塞いで電車に揺られた。
最初の件について、すぐに折り返しのメールが届いた。
手続きは来月で問題なし。
それより今月よくやってくれたから、月末の請求は倍にしてください、とのことだった。
ここで思った。
わたしは少し心配性に過ぎるのかもしれない。
もう一件については手土産を持って訪れた。
対応が遅いと難詰されることを想定し、事務所のマンパワーをこのたび増強したので今後このようなことはありませんと謝罪する心づもりであったが、わざわざよお来てくれたとの話になって、いつもありがとうと日頃の業務をねぎらってもらった。
おまけに、慌てて用意してくださったのだろう手土産まで持たされた。
これで2つが解決を見たがまだまだ油断ならない。
3つ目を解決するため電車で市内に戻り、なんばで乗り換えようとした。
そのとき連絡があった。
AとBを二者択一にして100点の仕事にするのではなく、200点は諦めても、両方を組み合わせて190点にした。
うちが行った手続きが最適解であったとの理解が得られたようだった。
そうなれば、まどろっこしい説明を端折ることができるから話が早い。
AにもBにも対応できない事務所もあるなか、両方こなす。
そこにうちの存在意義がある。
即座そのように返信したが、ほっと安堵しわたしは少しばかり調子に乗ったかもしれなかった。
ああ、やれやれ。
夕暮れの時間が近づくなんばを弛緩して歩く。
なんとか無事に3つを捕球し終え思った。
取り越し苦労が過ぎるきらいはあるだろうが、打球が上がれば目測より深めに回り込み正面で構えるのが基本。
心配性でなければ、打球があがった時点で即座に走れない。
浅いフライにぶったまげて大わらわする姿は滑稽かもしれないが、この仕事を長くやっていく上で心配性は不可欠な特質に違いなかった。
わたしは自身の適性を確信した。