ひとりで過ごすと思い出にふける時間が多くなる。
例えば移動のとき。
車窓の向こうに映るのは昔のことばかり。
過去の集積が列車に揺られているようなものである。
気が滅入るような思い出が浮かべば、もぐら叩きの要領ですぐさま意識の地中深くへと叩き返す。
だから、内なる視線は何度思い返しても飽きない名場面だけを巡ることになる。
それらシーンが出品作だとして賞を付与するならどうなるだろうか。
ふと考える。
グランプリは、やはり息子たちの合格発表の場面だろう。
息が詰まってやがて解き放たれる。
この喜びにまさるものはない。
それらグランプリ群に続いて、数々の小品が佳作としてひしめき合う。
ほんとうにごく些細なシーン。
子らが小さかった頃の言葉遣いや仕草。
そういったものの一つ一つが心を和ませ満たしてくれる。
作ろうと思って出来上がるものではないから、どれもこれもが奇跡の名品と言っていいだろう。
贅沢にもふんだんにそういったものが子らによって胸に刻まれている訳である。
だから、この列車がどこへ続こうがどうでもいい。
窓の向こうに見るコンテンツの量は無尽蔵。
このままずっと揺られていてもいい。
感傷を糧とするカニ座の男はそう思うのだった。