先日のこと。
家内はご近所さんに招かれ夕飯をともにした。
途中、その家のご主人が帰宅した。
手にファミチキを携え、さあ、どうぞと食卓に添えたという。
家内にとっては物珍しい品である。
で、悪気もなく、はじめて目にしたと言って、手はつけなかった。
ご主人はうちの家内を啓蒙しようとでも思ったのかファミチキについて語り始めた。
これはポピュラーな食べ物で、日本人なら誰でも口にする。
コンビニの進化は凄まじく、かなりの高品質で味もいい。
ご主人の語る勢いをかわそうと家内はその場で長男にラインし二男にラインした。
ファミチキを食べたことがあるか。
即座返事が届いた。
ない。
なにそれ。
その返信を受けて、ご主人のファミチキ愛に火が着いた。
それはおかしい。
うちは家族でしょちゅう食べる。
みなおいしいと言って喜んで食べる。
テレビのコマーシャルで流れているし、情報番組でも時々紹介されている。
知らない訳がない。
家内は気圧され、そう言えばと昔のことを思い出した。
息子らがこの家に招かれたときのこと。
ご主人が言った。
「マーガリンをとって」
幼い息子らはマーガリンという語を知らなかった。
それは何ですかと聞いて、そんなものも知らないのかと驚かれた。
家によって食べるものがまったく異なる。
だから、噛み合わない。
家内はそう気づいた。
以降、ファミチキに興味を示すふりはして、しかし、お腹がいっぱいだと言ってやはり口にはしなかった。
そんな報告を家内から受け、わたしは言った。
世にはいろんな人がいて、ファミチキやマーガリンと縁のない人もいる。
ふだんテレビに触れない人もいる。
そんな人がいて何の不思議はない。
だから、ファミチキをこよなく愛する人がいて、ファミキチは愚かケンタッキーのフライドチキンでさえ食べない人がいると想像もできない人もいる。
だから、日常の場面で是か非かといったニュアンスは軽々に述べない方がいい。
人それぞれ思わぬ所に地雷が埋設されていて、何が気に障るか知れたものではない。
最初から、相手の話を受け入れる。
そうすればファミチキの話を散々聞かされることはなかっただろう。
そして、あ、そうそうとわたしは話題を変えた。
すき焼きが好評だった。
肉も野菜もおいしく、次もまた頼むと父が言っていたことを家内に伝えた。
肉も野菜もいいものを選んで使い、料理も細部まで行き届いている。
父がおいしいと絶賛するのも当然の話だった。
料理上手だと褒められ慣れているはずの家内であるが、こうして折り入って褒められるとやはり嬉しいのだろう。
今度は何を作ろうか、楽しげに思い巡らせはじめた。
家内の手作り料理がうちの父のささやかな楽しみになっていく。
それはわたしにとっても嬉しい話であった。