明石公園に差し掛かったとき、ふと思った。
小さい頃の息子たちがここにいる。
タクシーを降りて、しばしその前景を眺めた。
上空に流れ込んだ寒気の影響で肌寒い。
そんな寒さをものともせず、広い園内を息子らが駆け回っている。
当時の時間にひとときひたってから駅の改札をくぐった。
上りの快速に乗り込んだとき、家内からメッセージが届いた。
フルーツや肉、バーゲンで買った服などを息子に送るという。
そうそう、彼らはいま明石公園の中を走り回っている訳ではなく東京で暮らしているのだった。
「いつの間にか大きくなった、明石公園が懐かしい」
そんなコメントをつけ昔の写真を家内に送った。
そして、ひとりで笑った。
わたしもそうだが家内も同じ。
頭の中はいつも子らのことでいっぱいなのだった。
特に家内はその「いっぱい」の度合いが大きい。
世間には子がいてさえ自分のことで頭がいっぱいという母もあるようだが、家内においては自身のことなど二の次三の次。
その優先順位がこれまで入れ替わることなど一切なかった。
世界最強の息子ラバーと言え、いつか息子らは誰かに愛されるのであろうが、母を超えて彼らを愛する存在が現れることはあり得ない。
自分のことを強く深く愛してくれた人がいた。
息子らには生涯そのことを忘れて欲しくない。
車窓の向こう、きらきらと輝く海を眺めてそう思った。