前日の雨模様とは打って変わってこの日は晴天に恵まれた。
朝9時前にはホテルを出て、自転車を借りた。
3人で縦列になり冷気を切って東京の街を疾走した。
まずは朝食。
代官山にあるIVY PLACEを目指した。
案内された席が店中央の、どちらかと言えば魅力薄な位置にあった。
そこで家内が店員に伝えた。
テラス席にしてください。
わたしだけならそのまま状況を呑み込んだに違いない。
が、家内。
なんでもまずは言ってみる。
そんな母の姿勢から息子は学ぶこと大であろう。
朝食後、蔦屋書店をぶらついて、そこから都内を広尾、六本木、赤坂、四谷、原宿と反時計回りに巡ってたっぷり東京観光を楽しんだ。
午後からトレーニングだと言う息子と原宿で別れ、家内とともにその背を見送った。
渋谷で自転車を返却し大勝軒まるいちでつけ麺を食べてからわたしたちは秩父宮ラグビー場に向かった。
勤労感謝の日と言えば、ラグビー早慶戦。
2019年に家内と観戦し、あれから2年の月日が過ぎていた。
神宮外苑は人でごった返していた。
早慶戦を上回り、いまが盛りの銀杏並木がより多くの人を集めていた。
競技場が近づいて、行き過ぎる人の視線が家内の着衣に注がれるようになった。
慶應ラグビー部の大きなロゴが入っているから、関係者の目は自ずとそこに引き寄せられるのだった。
会場入口で学生新聞が配布され、家内はケイスポ、わたしは早スポを手に取った。
見ると早スポ一面は早稲田副将 小林賢太。
芦ラグの星である。
おお、こんな日が来るとは。
なんとも言えない感慨に夫婦でひたった。
一方、慶應の方にも佐々木隼、芦屋ラグビー出身者の名があった。
ちなみに彼はうちの隣家女子と小学校のときの同級生である。
だから家内は彼の写真を撮るたび隣家に送った。
この芦ラグ出身の二人に注視して観戦した。
芝生の上を選手が駆け、空は青く、白い雲の間を飛行機がゆったりと横切っていく。
なんて素晴らしい一日なのだろう。
そこにいるだけで、心が満たされた。
真後ろの席が慶應ラグビーのOBの方々だった。
「早稲田の1番が早くて軽くていいね、慶應にもあんな1番が欲しい」
そうそう1番の小林くんは小学生のときから早くて強かったんですよ、とわたしは胸のうちで呟いた。
後ろで交わされるOBの会話がそのまま実にわかりやすい解説となった。
その語り口の上品さに家内は感じ入り、わたしに囁いた。
甲子園球場とは全然違う。
わたしは言った。
着てる服も違う。
靴がピカピカ。
わたしたちの会話は下衆の域を行き来した。
いつもどおり後半に慶應が猛追し、試合は盛り上がった。
活気があって、かつ、どこまでも平穏で、引き続き気持ちは満たされ安らいだ。
息子らが出場する訳ではないが会場全体に醸されるこんな空気感のなかに息子たちが属している。
そう家内は肌で感じたはずで、だからずっと笑顔だった。
息子らを東京にやった満足感のようなものをひしひしと感じているに違いなかった。
帰り際、慶應OBのおじさんらが家内のトレーナーを見て言った。
「素敵なトレーナーですね」
家内は気を良くして、息子の所属を語ってしばし言葉を交わし、ではまた来年と言って別れた。
この夜、帰阪する。
そう思うとなんとも切ないような、寂しいような気持ちに襲われた。
やっぱり来月もまた来よう。
家内とそう話し、穏やかな人波にのってどこまでも延びる銀杏並木の道を歩いた。