土曜も休みで日曜も休み。
二日連続で休めるというのが、実に嬉しい。
懸案であったリフレッシュは土曜のうちに果たせた。
日曜は丸ごと時間が空いて、予定を家内に委ねた。
では、と家内に買物に連れられた。
先日三田のアウトレットでブルゾンを調達したがそれではとても真冬は越せない。
厚手のものが必要と家内は言った。
家内の運転で箕面の問屋を訪れた。
結構いい品が揃っている。
まずはスポーツウェアを選び、上京した際、家内と同じレベルで都内を歩けるよう丈夫なウォーキングシューズを買った。
続いて厚手のアウターのコーナーに足を運んだ。
いろいろな種類を着せられて、若い頃なら興味も湧いただろうが、本音を言えばどうでもよかった。
あ、これは長男に似合う、こっちは二男だろう。
そんな風にしか思わない。
五十を過ぎればこれくらいは着ないと。
言われるまま袖を通し、適当なもので手を打って試着を切り上げた。
つくづく思う。
わたしの身なりが人としての最低線を保っているとすればそれは家内のおかげである。
ブルゾンに比べてコートやダウンはかなり値が張る。
だから息子らの分は実際に着てから選ばせようという話になった。
彼らが帰省した際、また出向くことになる。
そんな絵を思い描くと遠い昔の記憶が浮上した。
小さかった頃、正月が近づくと親父に百貨店に連れられた。
服など滅多に買わないが正月前だけは例外だった。
あれこれ着せられ脱いでは着せられ、というプロセスは苦痛以外の何ものでもなかった。
毎年その時期が来ると憂鬱になって、弟と二人でよく愚痴ったものであった。
思春期に色気づいて服に関心を注いだこともあったが、その時期を除けば一貫し、わたしにとって服は鬱陶しいものでしかなかった。
そこがうちの息子らと大違いで、彼らは家内に連れられての服選びを全く厭わない。
袖を通してきた服のどれもが似合って母子のコミュニケーションの歴史をビビッドに体現しているとも言えるから、彼らは服をどうでもいいとは思わないだろう。
わたしの用事が終わってあとは家内の買物に付き合って、昼を済ませ、わたしにとってはここからが本番、クルマで移動し食材の買い出しに向かった。
ビッグビーンズでの買物はいつだって楽しい。
ちょっと珍しいような品に溢れて店内を歩いて飽きず、気づけばあれこれ買い込んでしまうことになる。
家内がワインを選ぶ際、すすめられるまま数種試飲し、だから以降はわたしがハンドルを握った。
ラグビー早明戦を観ながら帰宅し、家で続きを観戦し、その後はこれまでの復習ということで007のスペクターを観はじめて、そのうち夕飯の支度が整った。
家内はワインでわたしはノンアル。
食事しつつ、ついうっかりわたしはこぼした。
ああ、明日は月曜、やることがいっぱいある。
そう聞いて、家内は言った。
Todo リストを作ればいい。
それで解決、簡単なこと。
軽い言い方でするナイーブな提案がとても面白く感じられ、わたしが笑って、それをみて家内も笑った。