たまには寿司と家内が言ったので金曜の夜、野田阪神の寿司屋で待ち合わせた。
店名は、もり。
路地裏にひっそり佇み目立たない。
が、れっきとした江戸前鮨を味わうことのできる名店である。
ひとりで切り盛りし匠の技を寡黙に駆使する大将は素朴で実直。
年末は25日までしか営業しないという。
優雅なものですねと感心すると、ミナミの料理屋のお節作りに駆り出されるのだという。
この技量の職人を助っ人にするなど贅沢な話であるが、素朴実直な男はその役回りを疑問に思わないようだった。
ビールで乾杯し、日本酒に進んだところで家内の携帯に着信があった。
こみつが届いたとの実家からの報せだった。
食べ方についてしばし娘が父にレクチャーする。
こみつは、甘い。
親の喜ぶ顔が思い浮かぶのだろう、家内は嬉しそうに見えた。
家内と話す。
もし男だったらと思うと恐ろしい。
専業主婦として歩んだその軌跡には確かなものがいっぱい詰まっている。
本人だけが気づいていない情報の宝庫と言え、それがあれば助かるという人は少なくないのではないだろうか。
簡単な話。
もし自分が過去のある地点に引き戻されたとして、その自分にどんな言葉をかけるか。
そんな言葉を必要とする人が他にもきっといるに違いない。
子育てひとつとってもわんさか情報が満載されている。
大したレベルではないにせよ子らの学業とスポーツの両方を支援してきたことは、簡単なことではなかった。
食事作りひとつとってもたいへんな情報量ではないだろうか。
それだけではない。
ハラハラドキドキ綱渡りする自営業者の女房しての内助の功からも有用な話が幾つも引き出せる。
それに加え、自身の研鑽のプロセスにも参照すべき点が数多あるだろう。
ハードなヨガと英会話を楽しく継続し、いつのまにやら役立つ国家資格を二つも獲った。
その観点においても語れる話は少なくない。
実は誰もが各自の困難と格闘し生きている。
それが人類の定めとも言え、それが人類の歴史を貫く真実でこれから先も変わらない。
だから、本当に大事な情報は奮闘の日々からしか生まれない。
地に足をつけて見渡せば明らかなことである。
誰もが学びを必要とし、成長を望み、励みとなるような成長譚を欲し、成長を促されるような人と一緒に生きたい願っている。
我が世の春を空虚に気取るインスタの投稿よりはるかに、汗と涙の果てに得られた情報の方が貴重で有用。
本当の意味でいいねとなるのはどちらの方か明らかなことだろう。
寿司は美味しかった。
いつもどおりコースに加え数品を追加で頼んで満たされた。
よいお年をと言って、店を出た。
日本列島に寒波が迫って、午後になって風が強まりぐっと冷え込んでいた。
が、日本酒を飲んでいたからだろう、夫婦で夜道を駅に向かいポカポカとした気分が引き続いた。