KORANIKATARU

子らに語る時々日記

子を持って知る親心

仕事をしているといろいろとある。

自身に端を発しない話であっても責任者であるからその咎を受けるのはわたしに他ならない。

 

積み重なると慢性的な頭痛の種となって、そのダメージは侮れない。

 

神経が摩耗気味であったのだろう。

午後、疲労を感じ気が塞いだ。

 

このように黄色信号が点滅したときは仕事に深入りせず回復に焦点を充てなければならない。

 

事務所を出て、わたしは馴染みのマッサージ屋に向かった。

倒れ込むようにしてベッドに横たわり、90分にわたり身を任せた。

 

揉まれて分かる。

このカラダはかなりの負担に耐えていた。

押せばキューキューと鳴るおもちゃのように、ツボに反応するたび口から声が漏れ出た。

 

まだ早い時間であったがそのまま帰宅した。

 

断捨離の作業に勤しんでいた家内がわたしの疲労を察知して、すぐに食事の支度にかかってくれた。

 

昼の料理教室の模様について家内がキッチンでどやさどやさと実演を交え説明してくれる。

ひとり演芸さながら、おもしろい。

いつも思う。

この表現力は舞台に立てる域である。

 

肉が焼き上がり、ポテトのガレットも出来上がった。

わたしはノンアル、家内はワイン。

 

二人で分けて食べ、家内が息子たちから届いた写真を見せてくれた。

なるほど息子らとのコミュニケーションもあって家内はいつにも増して上機嫌なのだった。

 

家内の話で笑って過ごし、わたしは先日親父が言った言葉を思い出していた。

 

様子を覗きに実家を訪れた際、顔を見せたのが久方ぶりであったから父はこう言った。

「だいぶ忙しいんか。もうそんな働かんでも食べていけるんちゃうんか」

 

要約すれば「無理するなよ」

そんな意味の声掛けだったように思う。

 

子を持ってはじめて親心というものがわたしにも理解できるようになった。

 

息子たちから、「美味しかった」、「おもしろかった」、「友だちができた」、「楽しかった」といったメッセージが届くと、顔がほころぶ。

逆であれば、平静ではいられないだろう。

 

だから、彼らが職業者となったとき、激務に身を献じて疲弊してほしいとは全く思わない。

 

「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」という昔のCMになぞらえるなら、「しょぼくてもいい、心穏やかに暮らしてほしい」というのがわたしのメッセージになる。

 

週末の土日、家内の提案でどこへ行くのか何を食べるのか、瞬く間に決まっていった。

押せばキューキューとなるおもちゃのように、わたしはふむふむと頷いた。

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