大したことはない。
練習中にはそう思っていたが、後になってかなり腫れて痛みがひかない。
骨折したのかもしれない。
本人がそう言って腫れ上がった左腕の写真を送ってきた。
すぐ医者に行くよう本人に伝え、何かあれば兄貴のもとに駆けつけるよう二男に連絡を取った。
が、駆けつけたのは長男の友人らの方が早かった。
飲み物と食料、それに手持ちの一般薬を持参し、西大和時代の同級生二人が下宿先にやってきてくれた。
ともに東大生であるのは西大和東大一組の同級生であるから。
誰が来ようとそんな比率が高くなる。
このように力になってくれる面々はいずれも活性高く出足も早く、息子よりはるかに優秀な者ばかりである。
だからひとり暮らしであっても心丈夫なことこの上ない。
友人らが下宿で付き添ってくれるうち不安がやわらいだのだろう、腕の痛みも腫れもひいていった。
交流によって生じる産物が自分という存在に他ならない。
こういったやりとりを通じ、息子は深く学ぶだろう。
何が自分自身を形作っていくのか。
血肉に刻まれていく「自分」について、ひとり暮らしであるからこそ明瞭に理解できるに違いない。
夜になって慶應の後輩が訪ねてきて、翌朝、病院を訪れた。
単なる打撲とのことだった。
人騒がせ極まりない話であったが、よき友人らとの関わりによってよき自分が形成されて、いつかこのさき彼らに報いることもあるだろう。