朝からせっせと書類作成に勤しんで、午後3時、ペースが落ちた。
冷気にあたろうと事務所を出て、足は自然と近所の神社に向いた。
いつもなら二人の息子と家内の名を唱える。
が、この日は手を合わせるとき両親の名が浮かんだ。
元はと言えばこの二人があってわたしが生まれた。
当時の様子に思いを馳せれば、苦労だらけの暮らしの序盤が目に浮かぶ。
そんななか、こんな出来損ないのわたしであっても二人にとっては希望の星だったのだろうと分かる。
バカ息子であるにもかかわらずその幸せと健やかな成長を願い揺らがなかったはずで、そんな存在は親をおいて他にない。
両親の存在を改めて感じ取り、込み上げるのはただただ感謝の念だった。
長堀通りを引き返すその道中、眼前に昔の記憶がよみがえった。
まだ幼い長男と甲子園筋で出くわしたことがあった。
小学校低学年の頃、彼はレゴが大好きで、祖父にもらった小遣いを握りしめしばしばららぽーとまでレゴを探しに出かけた。
胸躍らせて笑顔満面。
いま思い出しても、そのときの表情が可愛くて仕方がない。
二男の笑顔満面は、寝床に向かうときだろう。
これまた小学校低学年の頃、サンタがオバケのQ太郎全巻をプレゼントしてくれた。
彼にとっては未来永劫、読み耽ることができるくらいの分量だった。
寝床でQ太郎を読むとき、彼は喜びとともにあった。
その様子を横で見て、こんな幸せな光景はないとわたしは思った。
楽しみがあってこその人生であり、親は子が楽しいとただただ嬉しい。
うちの親だってそうだった、と子を持ってわたしは気づくことになった。
子らが上京して、このところ家内が楽しい予定をまめに組んでくれる。
仕事で遠出になるときは、昼食の店を予約してくれ、仕事が早く切り上がるときは、夕飯を一緒に食べて帰る。
たまに泊りがけの予定も入って、いつしかそれがわたしの楽しみの最上位に位置するようになってきた。
楽しみがあるから、時に苦役ともなる日常を機嫌よく渡り歩いていける。
両親を想い、わたしは楽しもうと決意を新たにし、そして子らが楽しくあることを心から願って、仕事場へ戻った。