厳しい寒さが緩み、陽の光にちらと春の気配を感じる土曜の日中、結局わたしは仕事に勤しんで、いつもどおり夕刻になって家路に就いた。
日が延びてまだ明るく公園ではちびっ子たちが元気に走り回っている。
そんな様子に目をやって、まもなく家というところ。
こちらに向かってくる自転車が横目に入った。
身をかわそうとするが、自転車はまっすぐわたしに突進してきた。
春が近づくと変わった人が急増する。
とんだ災難だと身構え相手を正視すると、自転車でぶつかってきたのは家内だった。
卵を切らせたのでスーパーまで買いに行くところだという。
夕飯の支度がまだならどこかで食べよう。
そう誘って、二人で出かけることにした。
駅へと引き返しタクシーで西北まで出て、そこから阪急電車を使った。
夙川から甲陽線に乗り換えて、改めて感じた。
瀟洒な高級住宅街へと続くこの路線は、そこらと一線を画す。
視界に入る女性はことごとく美形で男性はみな身なりよく、総じて知的な雰囲気が漂っていて感じがいい。
富裕だとこうなる。
そんな実例の数々を前にして、わたしは目をキョロキョロさせることになった。
別世界に迷い込んでしまった野良犬みたいなものである。
苦楽園で降り、薄暮に染まる高級住宅街を引き続きキョロキョロしながら歩いて、向かった店はコッタボスだった。
家内がいたく気に入っている店である。
メキシカンをはじめとする料理がすこぶる美味しく、多種多様なワインを楽しむことができる。
もちろんわたしもこの日はワインを楽しむことにした。
先週、伊勢を訪れて以来、中5日での飲酒となった。
グラス一杯を注文すると、選定のため数々のワインをテイスティングさせてくれる。
これが楽しい。
ワインという飲み物が有する味わいの深さと幅広さに感嘆させられることになり、南アフリカやスロバキアといった普段意識にものぼらない国々のワイン農園のこぼれ話などがその一口一口に加味されるから、たった一杯で学びの多いワイン会といった様相を帯びる。
ここで数杯飲めばワイン経験度が急速にアップして、通えば薀蓄を語る域にすぐ達することになるだろう。
ライブでのギターの弾き語りを背後に聞きつつ、女房とグラスを傾ける。
場所は苦楽園、瀟洒な高級住宅街。
とてもいい時間を過ごすことができた。
タクシーを呼んでもらって帰るつもりが、ほどよく酔うと歩きたくなる。
女房と二人、苦楽園から川伝いに南に下った。
川沿いの砂利を踏み、踏み石を伝って川を渡り、まるで小学生が下校するみたいに二人で歩いた。
結局、さくら夙川駅まで歩いて、ほんの10分ほど歩いたつもりが時計をみると30分近くが過ぎていた。
楽しい時間は早く過ぎる。
単に歩くだけでもそうなるのだった。
自転車で家内がわざとぶつかってきて始まった楽しい夕刻の時間は、このようにあっという間に過ぎていった。