疲労を覚えた。
だらだらと業務を続けても質が落ち悪循環に陥るだけである。
能率という観点で言えばいったんリフレッシュするのが得策だった。
そのため岩盤浴が必要だった。
仕事を切り上げ、事務所を後にした。
少し帰宅が遅くなる。
家内にメッセージを送った。
岩盤浴に行くなら一緒に水春に行こう。
そう返信が届いたが、そこまで悠長にしていられない。
そっちは水春に行けばいい、こっちはみずきの湯に行く、と返した。
平日の午後、思ったとおり岩盤浴エリアは閑散としていた。
人がひしめいているとそれだけで気が疲れる。
ゆっくり過ごすには静けさが必要で、だから閑散は疲労回復に必須の要素と言えた。
敷き詰められた岩塩の上でまずはうつ伏せになって寝そべった。
ああ、温かい。
疲労が癒える感触をしみじみと味わった。
と、後頭部に何かが降ってきた。
感触ですぐにバスタオルだと分かったが、気味が悪い。
めんどくさい奴にわたしは絡まれたのかもしれなかった。
上半身を反転させて相手を見上げた。
と、そこにいたのは家内だった。
水春には行かず、こっちに来たのだった。
わたしの横に家内が身を横たえ、いつもどおり話し始めようとするから、しっとわたしは制した。
岩盤浴では私語を慎まなければならない。
各種岩盤エリアをともに渡り歩き、休憩時、家内がソフトクリームを買った。
一緒に食べて思い出す。
その昔、家内と連れ立ちよくここに来た。
ちょうど二男が小学6年で中学受験に向け頑張っていた頃だった。
互い共有の思い出話にふけることになった。
とても成績の良い二男であったが、塾で新設された灘コースの先生の雰囲気に呑まれてしまったのか、大事な夏に精彩を失った。
塾に掛け合い下のクラスにしてもらい息を吹き返した。
誰にだって合致する適温というものがあるのだった。
同様の面々6人だけのクラスに属し、そこでいつも算数は不動のトップだった。
5人が甲陽に進み、1人が星光に進んだ。
本人は忘れているかもしれない。
だから、親が折々思い出し、良き記憶を呼び起こすことも大事なことであろう。
心身をともに育んでこその子育てであり、だからアフターフォローも欠かせない。
あれからまもなく8年。
引き続き彼が男子としてもっとも伸びる場所に導かれたのだと親は確信して揺らがない。