先日の日記の続きである。
返す返す思う。
ほんとうにくだらない。
話題の質として程度が低く、中身を見れば見るほどバカバカしい。
が、それでもそこに居たたまれぬような怖気を感じるのであるから、一度は正視し何がどうなってのことなのか記しておかねばならないだろう。
家内を当てこすっていた人物は、もちろん家内だけを標的にするのではなかった。
方々で徒党を組んでサル山を作り、その縄張り外の者を除け者にして見下していた。
こっちが上。
知らしめたいのは、単にそういうことであった。
が、誇示するネタが無尽蔵にある訳ではない。
そこで動員されたのが小ウソだった。
まるでマジック、舞台はインスタ。
次から次へと小鳩が湧き出るごとく、小ウソがマジシャンの手から放たれた。
ごく普通の注意深さをもって見れば、ことごとくが薄っぺらな嘘だと分かる。
貰ってもいないプレゼントの写真はすべて誰か他人のブログからの借用で、そこにもっともらしさが備わるよう芸の細かいディティールが言葉巧みに添えられた。
同様に、作ってもいない料理に、泊まってもいないホテル、随所に顔を覗かせる偽ブランドなど、虚飾が総動員され、見方によっては剽窃の見本市といった様相を呈すが、本人がそれで何かやましさを感じる素振りは微塵もない。
こっちが上。
できあがるのは素敵な自分で、それでいい気分になれるのであれば、事が本当かどうかなどどうでもいいことなのだろう。
近寄ってその頂きでのご満悦をひとめくり、ふためくりしていけば、何が分かるだろうか。
おそらく、そこにのぞき見えるのは狂おしいまでの強烈な勝ち気であり、匂い漂うのは身も蓋もないような獣臭に違いない。
つまり一見バカバカしいこの話は、実は一種ホラーじみた恐ろしさと背中合わせということである。
よく見れば、こちらを見下ろすその眼光には怒気が宿る。
見返すこの眼差しも呼応して、けだものじみた怒気をはらむ。
怒気と怒気がぶつかり合って、相手はエスカレートし、こちらは不快の度が増していく。
ああ、バカバカしいのも行き過ぎれば恐怖。
怖気を覚えてしまうのも当然という話なのだった。
この日の夕飯は梅田の「うを佐」。
はるか昔、わたしが東京で勤め人だったときのこと。
出張先が大阪になる機会があった。
大阪出身だからという理由で食事先を探すよう上司に指示され、わたしが選んだのが三番街の「うを佐」だった。
「うを佐」をこの日予約した家内はそんな話を知る由もない。
66期らに会うためとんぼ返りした息子と梅田で待ち合わせ、ひさびさ家族3人で食事して、ひとりぼんやり上記したようなしょうもないことを考えた。