朝、武庫川を走り、走り終えた後には何もすることがない。
ソファに寝そべり、いつか読もうと抜き取ってあった新聞記事に目を通す。
時折、視線を外す。
休日の空を眺めて目を休め、空に飽くとまた文字へと視線を移した。
単に生きているだけ。
そんな状態と言え、次第、視線は内へと向いて、時間も同じく過去へと向いた。
窓枠を雲が横切るみたいに、過去の様々な出来事が心の内を去来して、生体反応と言えるものは内なる喜怒哀楽だけという状態に至った。
ふと目が覚めて、今度は新書を手に取った。
先日買った「独ソ戦」(大木毅著、岩波新書)の頁を繰って、いつしかカラダが起き上がった。
とてもではないが寝そべって読める本ではなかった。
本書第二章の冒頭、少年の手記が紹介されている。
1941年6月22日、初夏を思わせる爽やかな日の正午、ラジオで緊急事態が告げられた。
ドイツ軍が各方面から国境を越えこちらに向かっている、とのことであった。
その報せを受け、街のあちこちで母たちが泣いた。
徴兵年齢に達している少年たちはドイツ軍に対峙しなければならない。
穏やかに見えた日常はいきなり切り裂かれたのだった。
ヒトラーの西にチャーチルがいて、東にスターリンがいた。
チャーチルは一歩も引かず、その向こうにはトルーマンがいた。
この状況下、ヒトラーは石油資源を求め、まずはソ連へと打って出た。
独ソ不可侵条約は一方的に破棄されたのだった。
ヒトラーはスラブ人を劣等民族と位置づけ、共産主義を殲滅すべき対象と考えていた。
だから方針は皆殺しであった。
殺すことを躊躇うな、根こそぎ殺せという進軍が、晴れた初夏の日曜日、平穏な街の各所に襲いかかってきたのであるから、こんな恐ろしい話はないだろう。
ヒトラーからすればスラブ人の命や共産主義は何ら尊重するに値せず、石油が必要なだけなのであるから、話し合って何がどうなる訳でもない。
それから4年の戦いで、兵士1,100万人を含めソ連の死者は2,700万人に及んだ。
戦闘による死のみでそこまで数は積み上がらない。
民間人虐殺に捕虜虐殺、ありとあらゆる虐殺が繰り広げられた結果であった。
空晴れ渡る休日の午後、数ページに目を運んだだけで、息苦しいような思いとなった。
「殺さなければ殺される」という地獄絵図がこの地上に現出していたのは、ほんの少し前のことなのであるから、太古の昔からずっとヒトの性質は変わらぬままなのかもしれない。
げに恐ろしきは人間。
地球上に存在したどんな生き物よりも、人の空想が生み出したどんなモンスターよりも、恐ろしさでヒトがはるかに上をゆく。
そう思わざるを得なかった。
この凶暴性を取り出して、ぐるぐる巻きに縛ってしまえるなら話は簡単であるが、ヒトと一体であるから手のつけようがない。
空を見上げて諦観し、だからこそ叡智が必要なのだろうと、この難題を解く知の出現を空の向こうに期待した。