ソ連が崩壊し、冷戦が終わった。
めでたしめでたし。
そう漠然と思っていたが、実際のところロシアの人々は以降、幸せだったのだろうか。
トランプが大統領に選ばれたとき、中間層が没落し怨嗟の念を内に秘める層がアメリカでは増えていると問題視された。
それと同様、ロシアではロシアの事情で不遇感や不本意感を募らせる人々があったと見るのも的外れなことではないだろう。
いくら権威主義の国と言え、プーチン一人の独断でここまでの規模の戦争を引き起こすことなどできるようには思えない。
独裁者と民衆は合わせ鏡とも言える関係で、やはり背景に民意が横たわっていると考えて間違いない。
だからこその高支持率なのだろう。
遡ること30年前、新しいロシアが生まれ、そこには希望があったはずだが、アメリカから対等に扱われる訳ではなく、ヨーロッパの一員になれた訳でもなく、経済的にもぱっとしないという状態が続いた。
共産主義とは別種の閉塞感が国を覆い、ソ連ロスとでもいった心情や、西側に対する被害者意識が醸成されていったとすれば、民衆のなかネガティブな攻撃性が蓄積されて猛獣化まであと一歩であったとの解釈も成り立ち得るだろう。
あとは猛獣使いの決断を待つばかり。
ナチスとの語を出せば、かつて大祖国戦争を戦い抜いた連帯感と高揚感を引き出せる。
今回、それら心的な反作用のすべてが一つにまとまり、西側に取り入ろうとするウクライナに矛先を向けた。
この状況をそう見立てれば、プーチン一人を除去したところで事は解決しないということになる。
ミヒャエル・ハネケの『白いリボン』という映画が思い出される。
オーストリアの小さな村が舞台である。
ナチスが台頭するはるか前、その精神的な下地は人心のなかすでに形成されていた。
封建的な主従関係が強固で息苦しく、子どもたちもそれに準じたヒエラルキーを形成し、とにもかくにも根暗で沈鬱な空気が始終村に漂う。
加えて陰湿で不吉な事件が続発し、村の内部の不穏さは増すばかりとなる。
だからだろう。
ドイツが東に向かってはロシア、西に向かってはフランスに対し宣戦布告した日、村は新たな旅立ちの空気に満ち溢れた。
村人の心に灯ったのは、これですべてが変わるという晴れやかな期待感だった。
今回の侵攻にも、そんな精神的な「根」の醸成があったのではないだろうか。
そして、その「根」は何もロシア特有のものということではないから、猛獣使いの腕次第で人はまた同じ道を辿らぬとも限らない。