80ページという分量だと薄めの小冊子くらいだろうか。
ペラペラとめくって時間が過ぎ、ずっとスラスラという訳にはいかずいつしかペースは落ちたものの、気づけばすでに50ページ以上はめくり終えた。
残りはせいぜい20ページ程度ということになる。
ペラペラと過ぎ去ったのと同じ分量であるから、知れている。
手元の冊子を手に取って、50ページと20ページをつまんで比べる。
残された時間のリアリティが身に迫る。
この20ページ分を女房と過ごし、随所で友人たちもこれまで同様、顔をのぞかせることだろう。
ページをつまんで知る友人の大切さ、というのだろうか。
彼らは不可欠かつ絶対的な存在。
残りの時間、この貴重な登場人物たちと互い人生を謳歌し合おう、そう思う。
そのうち尽きるページであるが、息子らがいるからだろう、寂しさを感じない。
わたしなど単なる前座。
つまり、あってもなくてもどちらでも構わないといったものである。
それに、もう十分満足といった心境でもあり、残りはおまけのようなもの。
おまけであるから気楽なもので、あとはまあ好きにすればいいということになる。
炭水化物を少な目にした途端、体重が4キロ減って、引き続き平日はお酒を飲まず、健康度で言えばいまが人生最高レベルと言える。
おまけの期間だから好きにしようと思っても、結局、目指すのはこれまでの集大成となるのかもしれない。
ベストなコンディションを維持し、生真面目MAXで日々自身の役割に邁進するだけの20ページを送るとすればそれがわたしの根源的な本心だったということになるのだろう。