夕飯は豚しゃぶ。
鍋の向こうで家内が携帯を指し示す。
その日に撮った写真を見せ、各地でのエピソードを語るから紙芝居みたいなものである。
ノンアルを飲みつつ、家内の話に耳を傾け写真に目をやるが、少し気がかりなことがあってわたしの意識は「いまここ」を留守にしていた。
若い頃なら、その気がかりを「いまここ」に持ち込んで、それを話題にし気がかりを家内に伝染させていたことだろう。
が、この歳になってわたしも学んだ。
せっかくの晴天に暗雲をおっ被せるなど罪な話としか言えない。
だから、わたしは上の空のまま、仕事についてひとり考えていた。
お客さんに恵まれ仕事も増え万事順調と言えるが、そこに曇りがときどき混ざる。
そもそもの出発点で、なんでもござれという姿勢で仕事に対峙している。
両手を広げ、あの業界もこの業界もと受け入れて、その多様さが事務所能力を底上げしていくのはいいが、両手を広げる分、そこに招かれざる客が入り込む。
たいていの場合、そんな招かれざる客は必須の売上をもたらすどころか、あってもなくてもいいような微々たる手間賃を生む程度で、しかし、費やす労力は相当なものであるから、「いったいなんのこっちゃ」とやがて皆で首を傾げて無為な長考を余儀なくされることになる。
昔、それで日々苛まれたことがあった。
とてもカタギとは言えぬ人に業務で絡まれ凄まれ恫喝されて、わたしはその種の力学の実用性を目の当たりにしたのであるが、どうにも困って最後には大阪府警に助けを求めた。
確かに心労が耐えず、何の足しにもならなかった。
そこで学んだはずなのに、スケールダウンしつつも招かれざる客がいまもたまに紛れ込み、最初は気づかず、わたしたちはいつもと同様、一生懸命尽力してしまうのだった。
先日、裏庭を掃除した。
どこからやってくるのか、種々の雑草が生い茂っていた。
四六時中目を光らせて雑草を判別し、その侵入を未然に防ぐことは不可能に近い。
ならば、折を見て、その都度きれいにしていくしかないだろう。
結論が出たところで、整然として美しい仕事の庭園がわたしの目に浮かんだ。
そしてその庭園の向こう、紙芝居へと目が向いて、ようやくわたしの意識は「いまここ」へと着地した。