わたしが早稲田だから息子たちもそこに照準を合わせれば軽く合格できる。
そう当て込んで楽ができるほど早慶の受験は甘くはない。
午後、本町で家内とわかれ、わたしはひとり実家に寄った。
父が大学受験について聞いてきたから、わたしは質問に答えた。
たとえば、一般受験の募集人数は長男の慶應法法で230人、二男の早稲田法で350人であり、そこらの私立中学と枠の大きさは変わらない。
そこに首都圏の優秀な受験生だけでなく、全国から受験生が集まり、さらに浪人生も加わってその枠を巡って争うことになる。
狭き門であることは間違いなく、相当な学力がないと勝ち抜けない。
早慶ならそれでよしと考え、早慶だけを目指し科目数を絞って準備したとしても楽になった分だけ肝心の学力自体が弱小化してしまう。
そうなればライバルの後塵を拝し、とてもではないが早慶の複数学部に合格するといったことは起こり得なかっただろう。
やはり東大に組する程度の学力全般を備えないと太刀打ちできない。
そんなレベルの戦いと言うしかなく、だから、どのみち楽にこなせる道などなかった。
そうか、そうかと父は頷く。
その様子から孫についての話が楽しくて仕方がないと分かる。
わたしは大学に入って以降、うすらぼんやり過ごしてしまったが、彼らは二人とも日々楽しく努力を続けている。
それぞれ慶應、早稲田の輪に入り、友人に恵まれ、学校を愛し、充実した学生生活を送っていて何の心配も要らない。
父子であるが、似て非なるもの。
わたしとはハナから器が違う。
そんな話をして、長男が働くことになる大手町界隈について父に説明した。
東京駅がここにあって、皇居があって、ここらが大手町で、その下に丸の内があって、銀座はこのあたり。
父が頭の中で地図を思い描いて、何度も頷く。
このあと父は飲み会があって人に会う。
わたしがした話を、そっくりそのままそこで繰り返すことになるだろう。
8月には彼らが帰ってくる。
墓参りの日時についてまた連絡します、そう言ってわたしは実家を後にした。
この夜、女房はママ友らと食事する。
つまり、わたしは自由。
朝、武庫川を走り家の掃除も終えていた。
心おきなく過ごせる土曜日の夜を迎え、わたしの足は天王寺の一杯飲み屋へ自然と向いた。