尼崎で神戸線に乗り換えた。
が、乗った電車がうんともすんとも言わずまったく動かない。
そして常套句となったアナウンスが流れた。
やはり人身事故。
今しがた誰かが車両に接触したのだった。
速報性ではツイッターにまさる媒体はない。
すぐにタイムラインに目をやった。
神戸線の灘駅で快速電車に身を投げた人がいて、そのカラダが跳ね返ってホームにいた方々まで負傷した。
そんな情報が次々ともたらされていた。
三連休が明け、皆の心模様を写し取ってか終日雨が降り続いた。
夕刻になってようやく雨があがり、今度は異様な湿気があたりを覆った。
アジアのどこか異郷の街を彷彿とさせる湿り気のなか、節電のためとのことで停車する車内の空調は切られ、人いきれも相まって蒸し暑さがいや増しとなっていた。
耐え難く、わたしは電車の外に出た。
改札を抜けキューズモールの本屋にでも行くことにした。
何も家路を急ぐ必要はなかった。
本屋をぶらつくいい機会だと考えた。
夕飯の支度ができている。
家内からメッセージが届いた。
例のごとく電車が動いていないと返信するとタクシーで帰っておいでと家内は言うが、ここでタクシーにお金を使うくらいなら、駅前で一杯やって過ごす方が理に適う。
しかし、この日は普通の平日。
わたしは飲まないと決めている。
結局、電車が動き出すのを待つしかなかった。
折を見て駅に戻ること数度。
午後7時を過ぎて、区間限定でようやく電車が動き始めた。
ああ助かった。
そう思ったが尼崎を出た電車は次の立花駅で停車して、また長く長くそこに停まったままとなった。
日は落ちて、あたりはすっかり暗くなり始めていた。
寂寥が募るような根暗な時間が降り積もり嫌気が差し始めた頃、ようやくまた動き始めた。
あと一駅、あと一駅。
わたしは心のなかでそう唱えた。
武庫川を電車が過ぎると、まもなくホームに差し掛かる。
それで幾人かが席を立ち、ドア付近へと移動した。
一刻も早く帰りたい。
そんな気持ちが車内に溢れ出していた。
ところが武庫川を渡り終えたところで再び電車が停車した。
みなの内に湧き出ていた安堵感は行き場を失い、立ち上がった乗客らは元の席に戻っていくしかなかった。
電車は長く長く停まったままで、乗客に疲労と憔悴の色が見え始めたとき、いきなりガタッと電車が揺れて、最後にやっと本気を出したみたいに電車が突っ伏しホームへとなだれ込んでいった。
二番線のホームに電車が停まって、ドアが開いた。
外は暗く蒸し暑いが、この解放感は得も言われぬものだった。
インドやモロッコで夜行バスに乗ったときのことをわたしは思い出した。
見知らぬ土地をバスが延々と走って、想像以上の時間を要して目的地にたどり着く。
不安と窮屈さのなかに長く閉じ込められていたようなものであったから、解き放たれたときの感慨はそれはもう絶大で、降り立った地であるハイデラバードやナドールのことを今もわたしは忘れない。
ホームを埋める人波に続いて歩き、わたしは未知の地を踏みしめるかのような新鮮な気分を味わった。
ここから五分。
女房が待つ食卓への道を遮るものはもうなにもなかった。