早朝から強く日が照りつけ、容赦のない暑さに身の危険を感じるほどであったが、視界の隅々まで色彩豊かに輝いて、そのライブ感が心を沸き立たせた。
そんな日曜日の朝。
さっさと身支度を整えて、家内とともに問屋に向かった。
息子に布団一式を送らねばならず、そのついでに家族各自の日用品をあれこれ買い足す必要があった。
クルマを停めて、まず最初、食事することにした。
問屋は安く、駐車場はタダでランチも付くから、大いに助かる。
食堂が混み合う前に腹ごしらえを済ませ、寝具売り場にて体圧分散マットレスなど布団一式を選んだのを皮切りに、各所にて家族の必需品を選んでいるとあっという間に時間が過ぎて昼をまわった。
いったん帰宅し、Netflixで『再婚ゲーム』を見始めて止まらず、夕刻になって、だんじりを見に行こうと家内が発案し、その言に従い、一緒に電車で塚本に向かった。
駅近くの蕎麦屋「むらおか」で一杯やって、絶品の蕎麦で仕上げてから街へ出た。
下町の街路を神社に向かって進むと、まもなく祭囃子が聞こえてきた。
その音源へと進路を変えると道の向こうに群衆が見え、群衆に取り囲まれるようにしてだんじりが姿を現した。
思ったとおり。
三基ものだんじりが街を練り歩くから、少し歩けば、どれかには行き当たるのだった。
遠目で見て、それだけでじんときた。
夕闇に炎が灯ったかのようであり、その炎がめらめら燃えて、胸の内の何かがその光に強く呼応した。
近づくと鐘や太鼓が地鳴りのように腹に響いて、どうしたって血が騒ぐ。
これはもうロッキーのテーマも目ではない。
群衆のなか、一人の老人が惚けたように口をあんぐり開けてだんじりを見上げていた。
その眼に映るのは、時代を超えて灯り続ける街の命の躍動であり、生きる歓びの謳歌そのものなのだと思えた。
わたしたちはだんじりの後をついて歩いた。
そこで繰り広げられる荒ぶるような命の大合唱に足並みを揃え、内心、燃えて燃えて燃えまくったが途中参加だったからまだ燃え足りない。
だから、次の日も。
家内とともにだんじりの後をついて歩くことになる。