事務所を後にし、家内とともに帰途に就いた。
途中、乗り換えの際、南森町のコーヨーに寄って肉を選んだ。
帰宅して家内がすぐに肉を焼き、精をつけてから家を出た。
向かうは塚本で、前夜の続き。
駅を降り耳を澄ませて歩いてすぐ、夕刻の風に乗って地車囃子が耳に届いた。
音の鳴る通りへと真っ直ぐ向かって、目を見張った。
三基の地車が出揃って、それぞれ別の四つ辻でぐるぐる回って鐘や太鼓を打ち鳴らし、何人もの屋根乗りが軽やか飛んで跳ねド派手にカラダを動かしていた。
さっきまでの日常と、とても地続きの場所とは思えない。
そこで繰り広げられている光景はまさに非日常なのだった。
まもなく三基の地車が順々に進み出した。
聞けば、別々の道をたどってこの後お宮入りするのだという。
わたしたちは前夜と同じ地車の後について歩いた。
要所要所で更に一層、地車が活気づき、その都度、ぶるる震えを覚えたからわたしたちは随所でエネルギーをたっぷり注入されていたと言えるのだろう。
午後9時半となり、いよいよクライマックスの時がやってきた。
お宮の門前へと続く道の入り口に、別々の場所から現れて三基の地車が集結した。
集まって三基がますます活気づき、その活気を競い合うようにして地車が一基ずつ門前の道をお宮と進みはじめた。
わたしたちはいち早くお宮へと移動し、鳥居近くで待機した。
お宮がゴールで、鳥居がゴールテープのようなものと言えた。
二日間に渡って街を練り歩き、エネルギーをあちこちふりまいてきた地車が本拠に帰還する様子をわたしたちは仰ぎ見た。
余韻さめやらぬなか、三基がそれぞれお宮奥の地車庫に収まって、祭りが終わった。
次は一年後。
人々の胸をこれでもかというほど熱くさせた当の地車たちがそれまでここで静かに眠る。
そう思うとじんときた。
一年に一回だけ。
その限定性が、時代を超えて受け継がれる永続的な何かをチラと感知させた。