京都で一泊しての帰途、昼に家内がワインを飲んでいたから、わたしがハンドルを握った。
助手席に座る家内が選曲し、耳に馴染んだ昔の曲を聴きながら鴨川西のインターを目指した。
途中からビリー・ジョエルの曲ばかりとなり懐かしさに浸っていると、曲が『ザ・リヴァー・オブ・ドリームス』になった。
93年の夏のこと。
リリース当初から繰り返し聴いていたから、この曲は当時の記憶とともにある。
その夏の終わりに祖母が亡くなった。
その頃通っていたプールの光景とセットになって病室で眠る祖母の姿が呼び起こされた。
続いて、祖母の娘である母の面影も一緒に浮かんだ。
大阪の下町にて肩を寄せ合うように生き抜いてきた母と娘がともに不在となった。
わたしの中ではありありと今も存在するから、もういないのだと自身に言わねば、そのことをつい忘れてしまう。
改めて気づいて寂寥で胸が詰まる。
が、夏空のはるか向こう、天国でいま二人はまた一緒に過ごしているに違いないと思え、同時に安堵感のようなものも込み上がり、寂寥と安堵が綯い交ぜになって、ただただ涙が眼に滲んだ。
寄る年波か。
このところ涙もろくて仕方がない。
前日は助手席に二男がいて、後部座席に家内が座っていた。
流れる音楽がシンディ・ローパーの『トゥルー・カラーズ』になり、その曲によって印象深い映画『アンコール(Song for Marion)』についてわたしは語った。
一組の老夫婦が主人公である。
妻が夫に向け歌う『トゥルー・カラーズ』と、亡き妻に向け夫が歌うビリー・ジョエルの『ララバイ(Goodnight, My Angel)』が対になり、夫婦の愛が歌となって行き交うから、その歌声に触れて泣かずにはいられない。
行きは涙ぐみ、帰りは泣いた。
人生も半ばを過ぎて、涙なくして語れないことが増えていく。