ひと頃より格段に人出が増えた。
修学旅行生の姿が目立ち、外国人観光客の姿もちらほら見えた。
京都はかつての姿に戻りつつあるように思えた。
夕刻になってもまだ雨が降り続いていた。
ぶらり歩く気になれず駅舎のどこかで食事することにした。
食事は不要と伝えるため家内に電話した。
「もう時間も遅い、ジムは休んで食べて帰る」
家内は神戸にいた。
「じゃあ、わたしも神戸でなにか食べて帰る」
そう言って、言葉が続く。
今日の施術者が島根出身の女の子で、とそのまま二万語の話が始まりそうだったので、ではあとでと電話を切った。
混み合う京都のなか、ひと気の少ない一角があった。
だからわたしはその回転寿司屋に吸い寄せられた。
客より店員の方が多く、職人さんらが談笑している。
客を注視する雰囲気より、また誰かの目を気にしてピリピリしている雰囲気よりはるかにいい。
わたしはくつろいで、回ってくる寿司を選び、時々、談笑の腰を折り食べたいものを注文した。
職場によってはハードパンチャーがいて、同僚を苦しめる。
このところそんなハードパンチャーに手を焼くとの話をしばしば耳にする。
気が強く歯に衣着せずものを言い、形相は鬼気にも迫る。
そんな者が指導や教育という大義名分のもと、要は執拗、あからさまに同僚の人格を攻撃し、職場を苦しみと恐怖の場に変貌させるのであるから、やめていく者が続出することになる。
誰だって幸せに過ごす権利がある。
何が悲しくてサル山の専制君主に屈従する必要があるだろう。
そして結局、遅かれ早かれそんなハードパンチャーは、死屍累々の山を築いたところで職場の自浄作用により、汚物が洗い流されるみたいに職場から排除されていくのだった。
そのとき職場に吹く風は春のあたたかみを帯び、職員の目は明るく輝き、ふんわりほがらかな空気に包まれる。
それでこそ幸福な職場と言えるだろう。
誰かを戦々恐々とさせるなどやはりあってはならないことなのだ。
幸いわたしは自営業者。
ハードパンチをぶつけてくる者などどこにもいない。
が、ひとり、そんな人物がいることに思い当たった。
親父がそう。
「おまえアホか、ほんまおまえは分かってない」
そんな嘆きをしょっちゅうぶつけられ、そのときは少しばかり悲しいが、ほとんどすべてが親父の勘違いに端を発するものであり、わたしは無実であって深刻な話でもない。
はい、はい、と聞きつつ、あと何年かすればそんな言葉も耳にすることができなくなり、ただただ懐かしいものになるのであろうと分かるから、言い返すこともない。
さあ、どんどん打ってこい親父、というようなものである。