KORANIKATARU

子らに語る時々日記

困った顔より喜ぶ顔を見る方がはるかに嬉しい

家の前に軽自動車が停まっていた。

営業女子がやってきているのだった。

 

家も年数が経てば手入れが欠かせない。

つまり費用がかさむ。

 

性格的に受容的。

うかつに話に混ざって契約を前に進める返事をしては後で困ったことになりかねない。

 

で、家を目前にしわたしは駅へと引き返した。

 

ジムへ行こうと思っていたが取りやめて、お腹も空いていたのでまさやの戸を開け、カウンターに腰掛けた。

 

まあ、たまにはいいではないか。

 

人にやさしく、とりわけ自分にやさしい。

わたしはそんな人間なのだった。

 

だからだろう。

人に対し威圧的でキツい言葉を発する者の心情が理解し難い。

 

やはりものには言い方があるはずで、そこに配慮があってこその人間だとわたしは思うが、一体どういう理由で、嫌な言葉を誰かに投げつけそれを容赦なく執拗に繰り返すことができるのだろう。

 

他者に精神的な負担を強いて、時に恐怖さえ感じさせ、職場の緊張を高め一体それで何が得られるのか、わたしにはまったく分からない。

 

元はと言えばチンパンジー。

誰かを制圧してその図が嬉しい。

そんな類の喜びがヒトの中には残存していて、それに浸る人もいるということなのかもしれない。

 

ほどよく酔ったところで、家内から「いまどこ?」とのメッセージが届いた。

まさやにいるので来る?と誘ってみたが断られ、仕方ないので手土産でも持って帰ることにした。

 

家内が好みそうな品を選んで、ぶらり帰宅の途についた。

わたしは人間。

誰かの喜ぶ顔を見るほうがはるかに嬉しい。

2022年10月11日夜 駅前のまさや