9時過ぎには雨があがった。
家内とともに家を出た。
実家に寄って父を乗せ、母の眠る墓へと向かった。
後部座席に座る家内が母の思い出を語る。
真似て言う口調がそっくりだから、父もわたしもその話に聞き入った。
このところ母によく会う。
先日はビルのロビーでばったり顔を合わせた。
事務所への差し入れにパンを持ってきてくれるところなど、母らしい。
その心遣いに涙が出そうになった。
ついこの間も同様。
実家を訪れると母がいた。
元気そうな笑顔をみて、わたしは心底、安堵した。
車中、家内も父も母についていろんな話をした。
しかしわたしはそんな夢の話も含め一切口にはせず、ただただ心のなかで母を想った。
朝から降り続いた雨のせいだろう。
霊園に人影は少なかった。
しょっちゅう会いに来てくれてありがとう。
手を合わせわたしは母にそう伝えた。
墓参りを終え、日課であるジムに行くという父を実家まで送り、わたしたちは鉄板焼の「来夢羅」に向かった。
ここに母を連れてきたのは四年以上も前のことになる。
ほんとうに美味しくて、母も喜んでくれた。
そんな様子を思い出し、鉄板焼を通じ夫婦で母を懐かしんだ。
それから心斎橋に出て家内のセーターを買い、わたしは水着を買い、事務所近くでチョコなど買って、また実家に戻った。
家内が肉を焼き、スープを作り、三人で夕飯の食卓を囲んだ。
わたしはノンアルで、父と家内がわたしの持参した名酒「宮水の郷」を飲んだ。
肉がうまいと父が何度も言って、家内は追加でどんどん肉を焼いた。
台所には封の開いていないまっさらな調味料がいくつもあった。
母が使うはずで、それらを使い切ったその先の先まで母が元気に過ごしていてもおかしくはなかった。
クルマでの帰途、夜の高速を走ると様々な色合いの光が差して、記憶の各所にスポットライトが当たっていった。
夫婦でずっと母の話をし続けて、結局は母の口癖に行き当たった。
母はいつも言っていた。
カラダが一番大事、元気ならそれで十分。
その言葉がここまで重く身に沁みて感じられるとは、当時思いもしなかった。