息子たちが家で暮らしていたとき、しっかりとした日常の時間が流れていたのは家内のおかげと言えるだろう。
母が不在になると何かが緩む。
そんなことをちゃんと理解していて、だから、家内が用もなく家を空けるということは全くなかった。
早朝に起き食事を作り弁当をこしらえ、夜食も含め毎日毎日家族の食事を整えた。
小さい頃なら息子らを送り迎えし、試合があれば声援を送り、学業についてももちろん息子らへの関心が途切れることなど一切なかった。
そのように背筋をしゃんと伸ばしたような時間が積み重なって、それがあってこそ曲りなり、息子らはサル同然の悪ガキからいっぱしの男子へと育っていった。
もし家内がそこらをほっつき歩いて遊んで過ごすような母親であったら、彼らも緩んでしまって今よりはるかに見劣りする軟弱の徒に成り果てていたかもしれない。
かれこれ二十年近くに及ぶ地味で地道な役割を家内は果たし終え、いま息子たちは各自その日常を積み上げていて頼もしい。
この週末を家内とともに京都で過ごし、その間も息子らから近況が寄せられた。
そしてわたしはつくづく思うのだった。
息子らに対する家内の深い愛情は、ある種の念力のようなものとなって生涯にわたって彼らを後押しする。
二十年がかりであるからそれがこのさきも薄れることはないだろう。