月曜の朝、まもなく事務所というところ。
信号待ちをしていると、横断歩道の向こうに一組の父子の姿があった。
父親はまだ若く、息子は小学四年生といった風に見えた。
二人はとても仲がいいのだろう、寒空のもと横並びになってしっかりとカラダを抱き寄せ合っている。
師走に入って寒さが募るが、そこに生じた「暖」がこちらにまで伝わって、わたしの心もじんわりと温まった。
そして思ったのだった。
人にはやはり暖が要る。
週末を京都で過ごした。
寒さが厳しく、早朝のランニングは喜びとはほど遠かった。
手がかじかみ、首筋、脇腹、足元から冷気が好き放題カラダの内へと侵入し、カラダが温まるより先、膝までガクガクと震えだした。
だから早々に引き上げて、ホテルのサーマルプールへと行き先を変えた。
水温が39℃もあるから、吹き曝しの路上とは大違い。
全身がポカポカと温まって体内を巡るのは幸福感で、少し泳いでのぼせては休憩し、寒空のもと天然温泉につかる贅沢を心ゆくまでわたしは堪能した。
そんな光景を思い出すだけでも全身をふんわり包んだあの暖かみがよみがえる。
それでわたしはますます「暖」について思いを巡らせることになった。
ほんとうに幸いなこと、身近に「暖」があってこれは女房に他ならない。
いつだってわたしのそばにいて温かく、息子たちにも温かい。
京都からの帰途、助手席で歌う家内のもとに長男からメッセージが寄せられた。
「無事、怪我なく最終試合を終えました。これで引退です。いままでありがとうございました」
最後の試合にかける長男の意気込みが凄まじく、勢い余って怪我でもするのではないかとわたしたちはその身を案じていた。
だから、無事の報せに家内はほっと安堵し、過去を顧みてうっすら目に涙まで浮かべるのだった。
このように息子たちはわたしたち夫婦にとってかけがえのない「暖」であり、ちょっとしたメッセージだけで心がすっかり熱くなる。
だから週明け、家内が食材を調達し、肉を焼いて暖かいセーターを選び、息子たちに宅急便で発送するのはこの瞬間に決定事項となったようなものだった。
そして「暖」は家族だけに限らない。
少し目線をあげればそこには友人たちがいて、みな一様に人柄温かくて懐も暖かい。
つまりわたしは四方を「暖」に囲まれているも同然なのだった。
なんと幸せなことだろう。
その恵みに思わず涙がちょちょぎれる。