夜中、家内の叫び声が聞こえて目が覚めた。
「いったい、どういうこと」
わたしは深夜の寝床で直感した。
この日記の継続がバレてしまったに違いない。
「いったい、どういうこと」とは釈明を求める言葉にほかならず、それが深夜の自宅で発せられるのであればその対象はわたしに他ならず、胸に手を当て糾弾されるとしてこの日記以外に思い当たることはない。
日記を全消去する態勢を整えつつ、おそるおそるわたしは声のした階下へと降りていった。
家内はテレビ画面の前にいた。
わたしの姿をみて手招きしながら家内は言った。
こんないい試合はない。
長男と並んで座って、家内はワールドカップサッカーの決勝戦を観戦していたのだった。
前半でアルゼンチンが2点を先取し、それで勝負あったと思いきや、土壇場でフランスが追いつき、延長になってアルゼンチンが突き放すもまたもや終了間際にフランスが追いついた。
そりゃこんな展開を見れば、そのドラマチックな筋書きに「いったい、どういうこと」と叫ぶのも致し方のないことと言えた。
わたしは心底安堵した。
この日記の命脈は保たれた。
日常の小さな小さなエピソードを書き留めることが、わたしにとってよく生きる上での必須の日課となって、一体どれだけの月日が経過したことだろう。
いろいろなタイプの人間がいるなか、何であれ何か書き残さずにはいられないタイプの者がいて、そういう単なる性向の発露が日記だとは思っていたが、まさかそれがわたし自身の生き甲斐のような次元にまで至るとは考えていなかった。
たとえばこの日。
家内とともに加湿器を買って実家の父のもとへと届けた。
乾燥にまつわるあれやこれやがこれで解消されるだろう。
これで一安心。
息子夫婦としての役割を果たし終え、次に鶴橋へと移動し簡単に昼を済ませ、年の瀬の風情ただよう市場で魚介やコリアンフードなどを買い込んだ。
続いて、メガネを受け取りに西宮北口へのアクタに向けクルマを走らせたのであったが、途中でガーデンズ周辺の長い長い渋滞につかまって身動きが取れなくなった。
そこでクルマを家内に託し、そこからわたしは歩いてアクタを目指した。
この冬いちばんの冷え込みのなか、家内に手を振って歩を踏み出し始めたわたしの姿は、頂上へと果敢にアタックするアルピニストのようなものであったのではないだろうか。
こういった他愛のないエピソードは、他愛がないからこそ暮らしの実感を支えるが、書かねば時間のなかの藻屑となってたちまち消え去る。
それが惜しいから、ささやかスポットライトの当たった場面をわたしはいちいち書き残す。
いつかまとめて振り返ったとき、ひとつひとつは小さなピースであってもよき場面が敷き詰められて、その景色は結構壮観であるに違いない。