日が暮れて寒さがますます募る夕刻、出先から事務所に戻った。
年末の業務が山場に入り、熱気が感じられた。
かつてはわたし独りで事務所を切り盛りしていた。
その頃と比べれば隔世の感。
いい職場になってきたと思え、感慨もひとしおとなった。
確かな手応えのようなものを感じながら皆より先に事務所を後にした。
家では家内が料理づくりに勤しんでいた。
姫路から届いたばかりの牡蠣をオイル漬けにしてあって、味見すると声が漏れ出てしまうくらいに美味しい。
瓶詰めにして東京に送るというから、これは二男も大いに喜ぶに違いない。
そして、余ったソースで焼きそばを作り、匂い香ばしくもちろん味も絶品。
このようにうちでは毎日毎日ご馳走が振る舞われ、食の祭典が途切れることなく開催されているも同然なのだった。
夫婦で牡蠣に感嘆しつつ、昔の食のラインナップを写真で眺めた。
どれもこれも素晴らしい出来栄えで、かつてはいまを凌駕した。
往年のスラッガーの大飛球を目で追うように、わたしは家内の料理の軌跡に感心しきりとなった。
写真をスクロールしていくと、ちょうど長男が高校3年だった頃の師走に至り、思い出にふける家内がいろいろと説明してくれた。
学校を終えてから自習室に行き、長男の帰りはいつも深夜に及んだ。
普段人通りは少ないが、電車が駅に到着するとしばらくして幾人かが家の前を通り過ぎる。
そんな人影の流れによって長男の帰りを見計らい、家内は長男の料理の支度にかかるのだった。
食べることだけがいまは楽しみのはず。
そう思って、家内は腕によりをかけた。
家に帰って風呂をあがれば、食卓にご馳走が並んでいる。
美味しいに決まっているから、長男は家内が作ったものを毎夜残らず平らげた。
東京へと長男を送り出し、そして、今度は二男が深夜の食卓に鎮座した。
写真がその歴史を如実に物語る。
家内がスクロールする写真の解説を聞きながら、わたしは何気なく朝日新聞の朝刊をめくっていたが、そこにヒグマの母子の写真があって目にとまった。
まさにうちの家内と息子二人ではないか。
そう思えた。
それで夫婦して、今度はヒグマの写真にしみじみと見入ることになった。